kill oneself

 

「ごめんなさい」
 私は最初に謝っておいて、手に持った鋭利なナイフを自分の首筋に押し当てる。そして思いっきりかっ斬った。
 とにかく痛い。痛い。気が狂うほど痛い。
 全身から力が抜ける。体温も奪われる。立って、いられない……
 大きな音がする。視界が血で染まる。赤く染まる。
 私が最後に目にしたのは、何が起こったのか理解できない自分の顔。
 携帯電話の音が鳴り響いている。




 じりりり……
 携帯電話の不快なメール音で私は目を覚ました。
「最悪……」
 私は嫌な気分になりながらも携帯電話に手を伸ばす。
 メールの内容は、予想された通りのものであった。
「ほんとに最悪……」
 再度言葉を重ねて、私は携帯電話を布団の上に放り捨てる。
 私は携帯電話が嫌いだ。携帯が鳴るだけで嫌な気分になる。私自身としては持っていたくもないのだが、そういうわけにもいかない。 
 私は少し普通の人と違う力を持っている。そのために、普通の人が出来ないような仕事をしなければならないのだ。今のメールもそうだ。
 今のメールというのは……



 私の名前は清水薫。蒼城高校に通う高校生である。
 私の容姿で一番の特徴をあげるなら、それは印象が薄いこと。それに尽きる。
 髪の毛は長いけど、何の飾りもなくゴムでまとめているだけで、化粧なんてものはもってのほかだ。
 唯一の欠点をあげるとしたら、少しだけきつい目つき。
 けれどもこれは眼鏡をかけることによって、上手く隠している。
 その結果、クラスに一人はいるとされている、眼鏡をかけた暗めの女の子、と言うことで私のイメージは落ち着いている。
 私は登校して席に座ると、
「おはよー」
 顔をそちらのほうに向けると、明るく色を抜かれた髪の毛と、耳に付けられた反射したシルバーのピアスの光が目に入り、私は目を細める。
 へらへら、と軽薄な笑みを浮かべた男子生徒が、片手をあげて私の目の前に立っている。
「……おはよう、三上くん」
 愛想の欠片もない返事を私は返す。
 私とは全く異なる容姿をしている三上とは話すのは苦手だ。
 けれども、今日はそんなこと言っていられない。
「それで、朝のメールのことは?」
 私は頭を抱えながら彼に問う。
 メールの内容は、
『蒼城高校にて自殺者。調査の必要あり』
 という、簡潔なメール。
 メールの内容の通り、私の役目はその自殺の調査をすること、なのだが……
 そのことよりも問題は、事件を調査するにあたっての私のパートナーが、彼であるということだ。
「ああ、飛び降り自殺の件ね」
 彼はうんうん、頷いた後、
「そんなことよりも、今度の日曜日デートしない? 駅前に新しい……」
 私がぎろりと睨むと、三上はこほんと咳払いをした。
「えーとね、簡単な説明からいうと、飛び降りたのは三年C組の有村洋子で、西棟の屋上から飛び降りたらしい」
 私の知っている名前ではなかったため、ほっと胸をなで下ろす。
「それで、どうしてこの事件を私が調べるわけ?」
「まあ、噂に過ぎないんだけど、遺書がなかったらしいぜ。そのため、警察の方では一応殺人の可能性がないかってほうでも、捜査はされてるらしい」
 三上の言葉に、私は眉をひそめる。
「殺人? たかだか遺書がないだけなのに」
 そんなものが理由だとしたら、警察や私みたいな存在が、年がら年中事件の捜査をしておかなければならない計算になってしまう。
「うん。まあ、よくある話なんだけどね、有村洋子はとあるクラスメートをいじめていたってわけだ」
 なるほど。ありがちな話、というわけね。
 私は得心がいったと感じに頷いてしまった。
「それで、いじめられてたって子は?」
「隣のクラスの柿崎志保美って子だよ……」
 柿崎志保美。私の記憶には無い名前だ。
 もっともそれは元々人の名前を覚えるのが苦手な私が、ただ単に覚えていないだけで、彼女に非があるわけではないのだが。
「あと、事件の状況がどうなってたのかって分かるの?」
「うんにゃ。これは、ちょろっと耳に挟んだだけだから、現場の詳しい状況はわかんないんだけど、現場には、自殺した子の友達もいたみたいだな。ついでに、そのいじめられてたって子も」
「そう、それなら私が柿崎さんに話を聞きに行くわ」
「オッケ。じゃあ。残りの方は俺が話を聞いておきましょう」
 三上はそう言って、自分の席に戻っていった。
 私が、ふう、とため息を吐くと、目を閉じて俯く。
「ねえ、清水さん」
 私が目を開くと、今度はクラスメイトの女の子が三人、私の席を取り囲むように立っている。
「今、三上君と、何を話していたの?」
 三人のうちの真ん中に立っている子が、おずおずといった感じに尋ねてくる。
「……いえ、別に変わったことは」
「でも……」
 私は内心で、ため息をつく。
 三上は口が上手く、ああいう見た目の通り、女の子に人気がある。
 目立たなく地味な私なんかに話しかけている姿を見て、気になっているのだろう。
 だから、私は彼が苦手なのだ。
 もう一度、心の中で大きくため息をつく。
 私は事件とは別に、どうやってごまかすか、と頭を悩ませなければならなかった。



「あの……」
 放課後。志保美が一人になったところを見計らって声をかけた。
「え、と……あなたは?」
 彼女はびくり、と反応してこちらに振り向く。
 彼女は、表情に少しかげりがあるものの、私なんかとはことなり可愛い顔立ちをしている。ただ、頬に貼られた絆創膏が少しだけ気になった。
「二年B組の清水薫っていいます。有村さんと知り合いだった者です」
 尋ねられ、私はとっさに嘘をつく。
「そう。有村さんの……」
 てっきりそんな話を振られたら、怒って怒鳴りつけられたりするだろうと思っていたのだが、予想外なことに彼女は軽く微笑んだ。
「あなたも、有村さんについて話を聞きたいんですか?」
 話が早くて助かる。
 私は相手を気遣いながら調べることが、出来るほど器用には出来ていない。
「いえ、どちらかと言えば、自殺の時どうなっていたのかが聞きたいんだけど。柿崎さんは、現場にいたんだよね」
 私がそう言うと、志保美は驚いたように何度か瞬きをした。
「ええ、確かにいましたけど」
「出来れば教えてくれない?」
「はい。あの日。私は屋上に呼び出されたんです」
 志保美が屋上のドアを開くと、そこには自殺した有村の他に、彼女の友人が二人立っていた。そして、いつものように――
 淡々と話す志保美の代わりに、私が顔をしかめてしまう。
 いじめ、という単語を聞いただけで、少し自分の脈が速くなっていることも感じた。
「でも、それじゃあ変ね」
 今の話を聞いた限りでは、そのいじめていた有村が、わざわざそんなことをしている最中に自殺をするようにはとても思えない。
「はい。その日はですね……私、柄にもなく抵抗したんです」
 志保美は、手を口元に添えて、上品に笑った。
「……」
「それで、怒った有村さんがナイフを取りだして、私に突きつけたんです」
 つまり、頬の絆創膏はそれが原因ということだろうか。
「それで?」
 私は話を促す。今の話だけでは何故そんな事件になったのか、何もわからない。
「それから、私にも何があったのか、よく分からなかったんですけど……突然有村さんが狂ったような叫び声を上げ始めたんです」
「叫び、声……」
「はい。それで、フェンスの方に走っていって、そのまま……」
 飛び降りた、か。
 これだけ聞いただけでも、おかしな点がありすぎる。確かに、これをただの自殺とするほうが無理があるだろう。
 私は自分の髪の毛をつまんでいじる。
 どうにも上手く考えがまとまらない。三上の集めた情報も含めて、家に帰ってじっくりと考える必要がありそうだ。
「今日は、ありがとう。わざわざ、ごめんね。不快な気にさせちゃったかな?」
 私はそう言って、志保美に頭を下げる。
 彼女は嫌みのない仕草で、首を横に振って、
「いえ別に。それだけで、よかったですか?」
 気を遣わないといけないのはこちらのはずなのに、彼女に気を遣わせてしまった。そんなに、私の目つきは悪かったんだろうかと、心配になってくる。
「あ、うん。大丈夫だよ。本当にごめんね」
 私はそう言って、ごまかすように笑った。



 去っていった、志保美の後ろ姿を眺めていると、
「ふん、よく言うよ」
 吐き捨てるような言葉が私の後ろから、聞こえた。
 そちらのほうを向くと、私を睨み付けるような目で見ている女性が立っている。
 目が鋭く、少し化粧がきつめの人だ。今の私達の会話を見ていたのだろうか。
「絶対あいつが何かやったに決まってる」
「え……と、なんのこと……?」
 一体何のことか、分からずに私は怪訝そうに尋ねてみる。
「だって、あたし見たんだから。あいつが、ナイフを突きつけられたときに、何か言ってから、有村がおかしくなったんだから」
「……そうなの」
 突然そんなこと言われても、私には頷くことしかできない。
「ふん、あんたもあんな奴には関わらないほうがいいわよ。あんな人殺しの子なんて」
 言うだけ言って、女の人はそのまま行ってしまった。



「あー、そりゃ橋本さんだねえ」
 何故か家のこたつに入っている三上が、蜜柑の皮をむきながらそんなことを言っている。
 私は無言のまま、包丁をとんとんと野菜を刻んでいる。今日の夕食は、面倒くさいのでカレーだ。
「ねーねー、薫ちゃーん」
 居間の方から、妙な声が聞こえてきたような気がするが気のせいだろう。
「薫ちゃーんってばあ」
 私には両親はいないため、六畳一間のこのアパートに住んでいる。
 といっても、バスとキッチンは別にちゃんとあるために、私一人が住むには広いくらいだ。
「エプロン姿の君も素敵だよー」
 母が死んで引き取ってくれる人は、誰もいなかった私を世話してくれているのは、例の組織なのである。私みたいな異能力者を探し出して、殺すことが目的なのだ。人類が進化するのが許せないという考えらしいのだが私にはよく分からない。そんな組織に私が飼われているのは、ただ単に利用価値があるだけだ。逆らえば、他の異能力者のように殺されてしまうだろう。
「ふふふ。こうして、黙って待っているっていうのもいいもんだね。何だか新婚さんみたいで。あなたー、待っててね、すぐに出来るから。みたいな感じ」
 ざくり。
 何で、こんな奴が女の子にもてるんだ。世の中不思議でならない。
 私の感覚がおかしすぎるのか。もう、若い人の感性にはついて行けないのだろうか……それは少しだけ嫌な気がする。
 私は出来上がった料理をよそって、三上がいる居間へと運ぶ。
「何しに来たのよ」
 私はため息を一つついて、料理をテーブルの上に並べる。
 何だかんだ言いつつ、三上の分も用意しているのは私の悪い癖だ。
「そりゃね、電話かけたら薫ちゃんが嫌でしょ」
「まあ、そうだけどね」
 私はスプーンを手に取りながら、頷く。
「それで、あなた聞いた話を聞かせてもらえる」
「うん。まずは簡単に報告をするとだね」
 自殺があった現場にいたのは、自殺した有村と、いじめられていた志保美。それと、有村と同じくいじめをしていたグループの二人、先ほど名前を口に出した橋本と、白川という先輩の女性徒の四人であった。
 それで、三上の口から話される事故があった瞬間のことは、概ね志保美が言ったことと同じであった。
「しかし、わけわかんない事件ね」
 私は正直な感想を口にする。
 自殺にしか思えないこの現象。しかし、自殺にしてもなんともおかしな事態であることには間違いがない。
「薫ちゃんも、話聞いてきたんだろ? どんなだった」
 三上は行儀悪く、私にスプーンを向ける。
「うん、私が聞いたのも話も概ね一緒。だけど……」
「ああ、さっき言ってた子ね」
 カレーを食べ終えて、私はスプーンを置く。
「志保美ちゃんが何かを言った瞬間に、叫び声をあげたってねえ」
 三上はうーんとうなった後、がしがしと頭を掻いて、
「わけわかんねえなあ」
 ポケットからマルボロとライターを取りだして、煙草をふかしはじめた。
 私もため息を一つついて、立ち上がる。コーヒーでも飲みながら考えるとしよう。



 私が台所から帰ってくると、三上はちゃっかりと用意している携帯用の灰皿に煙草を押しつけた。
「……他には、どんなこと調べたの?」
「ま、単純なこと」
 三上はメモ帳を取りだして私に放り投げた。
 受け取って開くと、その現場にいた人たちの、性格や所属している部活なんかの個人情報が大量に走り書きされていた。
「いつもながら、大したものね」
「別に。大したことないよ」
 三上は手をひらひらと振って、もう一本煙草を口にくわえた。
 私は嘆息して、その内容に目を落とす。
「麻薬とかはしてないのね……」
 どちらかといえば、今回の事件は麻薬関連の事件のようにも見えるのだが、どうやら関係はなさそうである。
 他の部分もざっと見てみるが、事件に関係していそうなものは見あたらない。もっとも、それは現時点での話だが。
 やはり、重要なのは、何故飛び降りた有村が突然叫び声をあげたか、ということだろう。
「橋本さんの言うとおり、何か柿崎さんが何かしたんじゃねえ。なんたって、条件はぴったりだ」
「……そうね」
 そう。もともと、そんな異常なことを想定して、調べていたはずだ。
「で、三上君は、そうであったとして、どう思う?」
「そうだなあ」
 三上は、ふうっと紫煙を吐く。
「やっぱり催眠術か何かじゃない? それで、彼女を操って、屋上から飛び降りさせた、か」
 私はコーヒーを口に運びながら、頷いた。
 妥当に考えると、そんな考えが思いつく。けれども……
「催眠術か……」
 催眠術といっても、何でも通じるほど都合の良い物ではないだろう。今まで携わってきた事件で、私も色々な能力を見てきたが、そのほとんどがほぼワンポイントでしか使えない能力だった。少なくとも、私の持っている能力なんかは携帯電話がなければ、発動することすら出来ない。
「そうね、まだ判断するには材料が足りなさすぎるわ。後のことはまた、明日考えましょう」
「オッケ。じゃあ、明日は俺はどうしよっか?」
「出来る限りの情報を集めておいて。私はもう一回、柿崎さんと話をしてくる」
 私の言葉に、三上は眉をひそめる。
「でも、危険じゃないかい?」
「大丈夫。私には、これがあるから」
 そう言って私は手に持った携帯電話を三上に見せてやる。なるほどね、と三上は苦笑した。
「キル、ワンセルフ」
 携帯電話と同じくらい嫌いなその名前を、私は口にした。



 この日、夢を見た。
 小さい頃の私。全ての色が赤く見えていて、耳に残るのは電話が鳴り響く音だけだ。
 一番大嫌いな色。
 一番大嫌いな音。
 私は赤くなってしまった世界で、一人立ちつくしている。
 電話の音は鳴りやまない。



 次の日、昼休みになったので志保美のいる隣の教室に向かった。
 彼女は教室の隅で、一人座っている。私は少しためらったが、
「あの、柿崎さん」
 教室の中に入って、彼女に話しかける。
「あ。清水さん」
 彼女は目を丸くして、こちらを見る。
「あの。あなたとまたお話がしたいんだけど、いいかな?」
 教室中の視線が集まってくるのを感じるが、今更気にしていられない。
「ええ、いいですよ」
 そう言って、志保美は笑った。



 人の少ない、学校の中庭に私達はやって来た。
「でも、よく話をしてくれるわね? 私は一昨日の自殺事件のことを聞こうと思っているのよ」
 私はベンチに腰掛けて、本心で思ったことを口にした。こういわなければ、どこかフェアじゃない気がしたからだ。
「そうですね。でも、こんな状態だからみなさん、私に話しかけるのを遠慮しちゃってるから、私も誰かと話したかっただけです」
 それが、たとえ事件のことであってもだろうか。
 普段から一人でいる私には、よく理解できない言葉だった。
「だから、どんな話でもしちゃいますよ」
 そう言って、志保美は舌を少し出した。
「ありがとう。じゃあ。遠慮無く聞くけど、事件の概要をもう一度確認したいの」
「事件の概要……」
「うん。時々細かく聞いてしまうところがあるかもしれないけど、いい?」
「ええ」
「それなら」
 昨日と、同じ説明を志保美は始める。昨日と同じ感じで話は進み、それがある部分にいったところで、
「ごめん」
 私は一度話を止めてもらう。
「有村さんが、ナイフを取りだした。それで、あなたを脅したんだよね」
「はい」
「その時の状況を出来るだけ詳しく教えてくれない」
 志保美は、少し不思議そうな顔をしたが、頷いてくれた。
「あの時、有村さんはこうナイフを取りだして」
 志保美は、自分のスカートのポケットに手を入れて、そこから銀色の光を帯びたナイフを取りだして、
「なめんじゃねえよ!!」
 彼女はそう言って、私の頬にナイフを突きつける。
 わざわざ口調まで真似をしてくれているのだろう。そのナイフには悪意は感じられないが――瞬間嫌な物が私の頭をよぎる。体全身が震えてる。呼吸が上手くできない。
「こんな、感じだったと、て、大丈夫ですか?」
 志保美は慌てた様子で、私の肩を掴んだ。
「うん、ごめんなさい……何でもないの」
「でも、顔の方も真っ青で」
 私は偏頭痛する頭を何とも押さえながらも、
「本当に、何でもないから。話の腰を折って、ごめん。続きの方をお願いできるかしら」
「え、ええ」
 彼女は慌てた様子で、ナイフをポケットへとしまった。
 志保美は人差し指を、私の頬に手を押しつけて、
「こんな風に、私の頬にナイフをそわしてきたんです。私は目を閉じて、橋本さんが、『やりすぎだよ』、とやめるように言ったら、突然有村さんは叫び声を上げたんです」
 あの橋本が、止めた。
 橋本の姿を思い出してみるが、志保美をいじめるのを喜びこそすれ、そのような行為を止めるなんて。私は少し意外な気がした。
「……ありがとう」
 私はお礼に頭を下げる。
「けれども、どうして私にそんなことを話してくれるの?」
 ただ頭に思い浮かんだ疑問を口にした。
「それなら、どうしてあなたは私のことを聞かないの。警察の人も、周りの人はみんなそのことを聞くのに」
「それは……」
 自分でもよくわからない。何で、私は彼女にそのことを聞けないのか。
「……だからね。私。あなたと友達になりたいなって、思って。駄目、かな?」
「いや、別に構わないけど」
 そう答えて笑った彼女の顔を、私は絶対に忘れることはないだろう。



「あら、こんにちは」
「橋本さん?」
 志保美と別れて、廊下を曲がると、そこには橋本が立っていた。
「また、あの子とお話なんかしてたの」
「ええ、それが何か?」
 私は少し悪意を込めて答える。
「ふうん」
 橋本は意味ありげな笑みを浮かべる。
「一体何々ですか?」
「いや、さっきあなたとのやりとり廊下から見てたんだけどね。あの子、ナイフなんて持っているのね」
「――!!」
 言われてみれば。どうして、そのことに気付かなかったんだろう。彼女みたいな子が何でそんな物を。
 志保美と会話している最中は気付かなかったけど、明らかにおかしいじゃないか。
「あなたは、何が言いたいんですか?」
 私は、橋本をきっと睨む。
「別に。でも、明らかにおかしいのはあの子でしょ」
 私には反論が出来ない。橋本は口元を不快そうにつり上げる。
 本当に嫌な笑みだ。



「……か・お・るちゃん」
 廊下を歩く、私の背後から不気味な声が聞こえる。
「そんな、汚物を見るような目でみちゃいやーん」
 そんなことを言いながら、身をくねくねさせる男が約一名。
 私はそちらの方に、目を向けることもなく、歩みを止めない。
「いや、無反応だと、こっちも反応にもの凄く困るんですけど」
 だったら何でそんなことをするのだろうか。実に理解に苦しむ。
 三上は諦めたように、私の横に並ぶ。
「でさ、志保美ちゃんはどうだった?」
 三上の言葉に、私は眉をひそめる。
「あなたも、見てたのね」
「あー、見えちゃった、て、俺も?」
「悪趣味」
 三上は肩を落としているような気がするが、何でだろうか。
 何だか鬱陶しいので、窓硝子から眼下に逃がす。
「お、志保美ちゃんだね」
 反対側の校舎の一室に、志保美の姿が見えた。
 自然と歩くのを止めてしまって、そちらの方を見やってしまう。
「やっぱり、可愛いねえ彼女」
「……そうね」
 確かに三上の言うとおりだ。志保美は女性の私から見ても魅力的な人物に思える。しかし、三上のメモに寄れば、その可愛さが彼女が先輩達に目を付けられた原因となっているらしい。実にくだらない現状だ。
 でも、今彼女は何をしているんだろう。
 彼女は何かを言っているようだった。話している相手はここからでは見えない。
「――!!」
 すると、志保美は突然私に突きつけたナイフを取りだした。
 そして、こともあろうに自分の腹部にそのナイフを突き刺した。
「な――」
「ありゃあ――」
 いきなり起こったその惨劇を前に、私はその場に立ちつくしてしまう。
 一体。何で。どうして。あんなことが……
「しっかりしろよ!! 早くいかないと」
 血相を変えた、三上に腕を引っ張られる。
 だって、あの現場は――




 私達が現場に着いたときには、紅い水たまりが出来ていて、その中央には女の子が倒れていて、志保美は全く動いていなくて、腹部にはナイフが突き刺さっていて、そこからいっぱい血の流れてて、とまっていなくて、髪の毛までも紅く染まっていて、肌は血の気を全く感じられないほど白くて、それで、それで――――




「いやあああぁぁぁ!!!」
 世界の終わりを感じさせるほどの絶叫が教室中に響き渡る。
「おい。落ち着けって。まだ、彼女は死んじゃいねえ」
 パチン、と三上に頬を叩かれて、我に返った。
「ご、ごめんなさい。取り乱しちゃって。でも、どうすれば」
「とりあえず、救急車に連絡だろ。薫ちゃん携帯は?」
 携帯電話……
 私は震える手でポケットから携帯を取りだした。それから、ボタンを押そうとするもまともに番号を打つことすら出来ない。
「ち、俺に貸せ」
 三上は私の手から携帯を奪って、そのまま部屋を出て行った。
「柿崎さん」
 私は、呆然と倒れている志保美に歩み寄って、しゃがみ込む。
 ナイフが一本深々と腹部に突き刺さっている。
 私は結局何も出来ずに、その場にずっと立ちつくしていることしかできない。サイレンの音が近づいてくるのを、ただ待つことしかできない。



「はい」
「ありがと」
 三上に差し出された缶コーヒーを受け取りながら礼を言う。
 今私は手術室の手前の椅子に座っている。
「それで、志保美ちゃんの様子は?」
「……」
 手術中の赤いランプがまだついている。
「警察の方じゃ、これは自殺未遂として扱うんだって」
「そう」
 それはそうだろう。
 志保美は間違いなく自分自身でナイフを突き刺したのだ。
 それは、私達が見たことだ。あの事件は、自殺以外の何ものでもない。
 だけど私は、一度頭の中で、事件の整理をする。
 最初の事件。有村は飛び降りて、自殺した。
 次の事件。志保美は、腹部に自分自身でナイフを突き立てた。
 この事件における共通点は、どこにあるんだろう。両方ともの事件の共通点は、自分自身で、命を断とうとしたこと。それ以外のどこに……
 自分自身、で?
「あ」
 私は何とも間の抜けた声を上げてしまう。
 私はなんて、馬鹿なんだ。これほどまでに簡単な事件は、他にないじゃないか。答えは、身近にあったんだ。逆に身近過ぎて、気付かなかったんだ。
「薫ちゃん?」
「三上君、一つだけ詳しく調べて欲しいことがあるんだけど。頼んでもいい?」
「あいよ」



 次の日、受け取ったレポートを見て予想通りな内容に、私は確信する。
「あー、こういうことね……」
 三上はばつが悪そうに、そんなことを言う。
「別にあなたが気にしなくてもいいよ。それより頼み事してもいい、三上君?」
「何でも仰せのままに、お姫さん」
 三上はそう言って、お辞儀をしてみせる。
「この人を、放課後。呼び出しておいてくれないかな」
 私は携帯電話を取りだして、電源をいれた。
 三上曰く、この時私は凄絶な笑みを浮かべていたそうだ。



「あたしをこんなところに呼び出して、何のつもり」
 教室で待っていた橋本は、明らかに不快そうな顔をした後、鋭い目で私のことを見る。
「あなたが、有村さんを殺したんでしょう。そして、柿崎さんも」
 駆け引きも何もなく、私は端的に事実を口にした。
「あんた、何を言ってんの? 柿崎は有村を殺した罪を悔いて、自殺を図ったんだろ」
 それが、もっぱらのうわさ話だ。
 こんな事件が、同じ学校で二件も続けておこれば嫌でも噂になるというものだ。
 その噂の内容は、柿崎志保美が、いじめられた仕返しに、有村を殺した。そして、そのことに悔いて自殺を図った、というもの。
 警察以外は、詳しいことは知らないわけだから、そんな噂が流れるのは仕方ない。
「まあ、あんな悪趣味な女の末路には丁度いいわね」
 橋本はけたけたと笑い、私はぎりっと歯を噛みしめる。
 面倒だ。回りくどい話はやめよう。
「体入れ替え。それが、あなたの能力なんでしょう」
「はあ? あんた一体何言ってんの?」
 橋本は、頭がおかしいんじゃないといって、自身の頭をつんつんと叩いてみせる。
「あなたの、能力の発現条件は、ナイフを持っている人と目を合わせること。そうでしょう?」
 私は構わずに続ける。
「最初の事件の時、ナイフで柿崎さんを脅している瞬間。あなたが有村さんのことを呼んで、顔を上げた時に、彼女は狂ったような声を上げて、そのまま自殺したでしょう」
「付き合ってられないわ」
 そう言って、橋本は私に背を向けて、部屋を出て行こうとする。
「そして昨日、柿崎さんがナイフを自分に突き立てた時、彼女と話していたのはあなただ」
 きっと、この女が事前に呼び出していたのだ。
 だから、志保美は自分の身を守るために、彼女に似合わないナイフなんかを持っていて……
 橋本は立ち止まって、
「あなた、見てたんだ」
 やれやれといった感じのため息をついて、こちらに振り向く。
 その手に、ナイフを握って。
「橋本さんのお父さん、自殺してるわね。随分と前に、ナイフによって」
 私は橋本の顔から目を離すことなく、言葉を続ける。
「お父さんが、あなたのことを暴行しようとした時に、あなたはその能力に目覚めたんでしょう。何で、そんなことをお父さんがするのかが知りたくて」
「……へえ」
 橋本は、口元をわずかにつり上げ、酷薄な笑みを浮かべる。
 両方の事件の共通点は、自分自身で、命を断とうとしたことだ。催眠術を掛けて自殺を促すよりも、自分自身で相手の体を操った方が数段簡単だ。
「それは、違うわね。あいつのことを殺したいって、思っていたら自然と体が入れ替わっていたのよ。そのことを理解したあたしは、あいつの体で自殺した」
「……何で、彼女たちにまで、そんなことをしたんですか?」
 私は質問を重ねる。
「そんなの、邪魔に決まってるからじゃない。有村は昔から、うざくてね。今回丁度良い機会だから、死んで貰ったの」
 橋本は本当に、何でも無いことのように答える。
「柿崎さんは……」
「それで、あの子が自殺すれば、自然とそちらにみんなの視線が向かうでしょ。まあ、別にそんなことしなくても、元々私が捕まる理由なんかないけどね」
「たった、それだけの理由で……」
 握った拳が震えてくる。
「日本の警察って優秀よね。自殺と他殺の区別は絶対に出来てるし。それと、別に、あんな女死んだってあんたには関係ないでしょう? あんな良い子ぶったやつなんて、見てるだけで吐き気がするわ」
 この――――
「で、あんたにそんなこと喋られちゃ迷惑なわけ。分かるでしょ? 頭のおかしい子にこれ以上、巻き込まれるのは本当にうっとうしいのよ」
 にっこりと橋本は笑う。私をそのナイフで脅すというのか?
 そんな、橋本に私も微笑みかける。
 ……そう言えば、何で橋本の能力が分かったか答えてなかったな。
「よかった。これなら、私」
 そう言って、私は目を閉じた。直後。
 じりぃぃん。
 部屋の中で、携帯電話が鳴り響く音が聞こえた。
「ためらうことなく、あなたを殺すことが出来る」
 次に目を開いたら、私の瞳には、"私"の顔が映っていた。
 私は、橋本が持っているナイフを今の自分の首元に押し当てて、一気にかき斬った。
 痛い。とんでもなく痛い。視界が薄れていく。
 この瞬間はいつになっても恐怖する。
 何回もしているんだから、そろそろ慣れたいところだけど、さすがにそれは無理だろう。
 目を何とか動かすと、"私"は両目を大きく見開いて立ちつくしてる。
 無理もない。
 今まで自分がしていたことが、他の人にも出来るとは夢にも思わないだろう。
 それは、私も同じことだ。
 私も私と同じものを持っている人がいるなんて、思ってもいなかった。無意識のうちに拒否でもしていたのだろうか。
 キル、ワンセルフ。誰かを自殺させるなんて、言い得て妙なこの能力。
 電話の音が鳴り響く場所で、強制的に相手との体を入れ替えてしまうのだが、現実には逃避に等しい。携帯という最悪のBGMを聞きながら、私の意思は薄れていった。




 こんな時は、いつも思い出してしまう。
 子供の頃、虐待されていた記憶が、とめどなく溢れてくる。
 よぎっていく思い出は、暗い赤色と電話の音。
 毎日、殴られ、蹴られ、刃物で傷つけられていく。
 私は分からなかったんだ。母が何を考えているのかが。
 だから、分かりたかったんだ。母が何を考えているのかを。
 そんなことを、ずっと思っていた。願っていた。
 分かりたかったのは、母が何を思っているかだったのに。母の体になれれば、分かるのかなって思っていたのに……私に出来たのは、母の体で、彼女自身に自殺をさせたことだけ。
 だから、私は赤い色と電話の音は大嫌いだ。
 この音は、私に悪意しか運んでこない。




 目を開くと、いつもの見慣れた天井が目に入る。しみが三つある、私の部屋だ。
 目を何度か瞬かせて、体を起こした。
 結局あれからどうなったんだろう。
 私がここに寝ているとということは、三上が運んでくれたんだろうけど。
 じりりりん。
 枕元で、携帯電話が鳴り響く。
 私は、今見ていた夢のことを思い出して、気分が悪くなりながらも、携帯電話を手に取った。
 見ると、やはり三上からだ。
 ……何か、トラブルでもあったんだろうか。
 事後処理や、そういうことの一切は、いつもなら彼が全て引き受けてくれるため、事後の連絡などはしてきたりはしない。
 私は慌てて、メールの内容を確認して、ほっと胸をなで下ろす。
 内容は、志保美が一命をとりとめた、という内容だった。
「よかった」
 本当によかった。心の底からそう思う。
 しかし、メールにはまだ続きがあった。
 下ボタンを押していくと。
『PS 電話にもたまには良い知らせってもんがあるだろ?』
 なんて、書いてあった。
「あいつ」
 格好付けて笑っている三上の顔がありありと想像できてしまう。
 私は一言、『ありがとう』と、返事をしておいた。