これは、佐藤まことの、佐藤まことによる、佐藤まことのための物語だ。
「うーん。ここが僕の新しい高校かあ……」
白い塗装をなされた、真新しい校舎を僕は感慨深げに眺める。
桜の花びらが舞い散り、舗装されているアスファルトの上をピンク色に染め上げている。 道にはどこか初々しい感じのした学生と、その保護者と思われる人たちの姿が見えた。
そう。今日は入学式。
素晴らしき青春の一ページ目を飾る日だ。
「さてと」
とまあ、いつまでも感慨に浸っていても仕方がない。
僕は学生鞄から、一枚の紙を取り出す。合格通知とともに送られてきた物で、自分がどこのクラスなのかを記されている紙だ。ご丁寧なことにどのクラスなのかだけでなく、自分がどこの席に座るのかまでも詳しく記されている。
靴箱で靴を脱ぎ、壁に貼られている案内に従って記されているクラスまで歩を進める。
一のC。それが僕のクラス。
僕は一呼吸し、スライド式のドアを開いた。
教室の中は静まり返っていた。
教室に誰もいないわけではなく、席の四分の三程度は埋まっている。
それなのに静かだということは、進学時特有の最初だけ静かにしている現象というやつだろう。どうせ二日もすれば、うるさくなってしまうのだから。
僕は特に気にもせずに、先ほどの紙に記されている席に座る。佐藤という名にふさわしく、丁度教室の真ん中らへんの辺りだ。
鞄を机の隣のかけて、黒板の方を見る。黒板には白いチョークで今日のスケジュールの方が書かれてあった。
「入学式は八時半か」
とっさに時間を確認する。現在八時十五分。
まだ、十五分ほど余裕がある。
僕はさりげなく、かつ見抜かれるようにクラスメイト達の様子に視線を巡らす。
「…………」
じっくり見渡すこと十六秒。
幸いなことに、みなさん僕のように普通っぽくてやばそうな人はいなさそうだ。
僕は良かった良かった、と胸をなで下ろす。
正直不安だったのだ。
ここ、高丸高校は今年設立されたばかりの新設校で、僕たちはその一期生ということである。そのためにここがどんなレベルで、どういう校風かがいまいち知られていないのだ。
謎な点は他にもある。
僕は推薦でここの高校に来たわけだが、僕が推薦される理由がわからない。
地味、地味、地味。見た目から成績まで地味で、ありとあらるゆものが地味。地味の中の地味と言う言葉の具現者がこの僕だ。
僕の秀でている点、というよりも評価されたことがあるものは。夏休みの自由研究で、入賞したことがあるくらいだ。あれは確か四つ葉のクローバーを四千二百六十二枚集めた物だ。貰った賞は、今時小学生でもなくなってしまったような頑張ったで賞。もはやジョークなんだかよくわからないが、少なくともその賞状を渡すときの先生の顔が、引きつっていたのは思い出せる。
とまあ、僕のことはどうでもいい。
別にスポーツにや、文芸に秀でてもいない僕が、推薦されるのはよくわからない。
確かに僕が推薦される理由なんてわからない、けれども、推薦という魅力にはあらがいがたい魅力があるのもまた事実。お受験なんていう神経をすり減らすものには、出来る限り拝みたくないものだ。
とりあえず、変わった奴がいないようなので安心安心。お嬢様風の方やいかにも不健康そうな人もいるけど問題ない。普通の許容範囲内だ、と思っていたらクラスメイトの中に金髪の人が混ざっていた。
いつの間に……。
どうやら、僕以外の人たちもその存在気がついたようだ。
実際、今時金髪なんて珍しくはないとはいえ、入学式からはやりすぎでしょう。せめて夏休み明けくらいにでもしないと。それとも高校デビューってやつ? 今時はやらないな、そんな言葉。
僕は気付かれぬよう、まじまじと彼を観察していると、その金髪君は目を見開き、口の方を半開きにしていた。その様子は驚いているように見える。
君の格好の方が驚きなんだよ、と内心でツッコミをいれながら、興味本位に金髪君の見ている方に目を向けると。
いた。
確かにいた。
目を見開くような人物が。
思わず吹き出してしまいそうな人物が教室の入り口に立っていた。
その人物には髪の毛がなかった。
いや、髪の毛だけじゃない。眉もひげも何もかもが。まるで毛という毛が初めから存在しないかのごとくだ。
「ウーッス」
そやつは、見た目のままのドスのきいた低い声を発し、ドアをくぐってくる。
僕を含めて、みなは唖然とした様子で、その人物を見ることしか出来なかった。
眉なしスキンヘッドは、かっと目をむき、大きく息を吸った。
僕にはそれが怒っているように見えた。
「何見とんのじゃ、コラァ!!」
……やっぱり、怒ってらっしゃいました。
怒鳴られた人たちはみんな、顔を俯かせて下を見ることしかできない。
「……一体どうなっているんだ?」
僕は小声で呟く。
教室は先ほどと同じような沈黙が帰ってきた。
その沈黙破るように戸が開き、先生が教室の中に入ってくる。
「えーと、みなさん。そろっていますね」
と、ざっと見回して簡単に確認する。
特に金髪君とスキンヘッド君については触れることはない。問題がないってことなんだろう。
「それでは、廊下の方に今座っている順に並んでください」
先生の少し気の弱そうな声に指示されて、僕は廊下へと立ち並んだ。
「一体あれ、何なのかな?」
僕の前に並んだノーフレームの眼鏡をかけた男子生徒が、ひそひそと小声で話しかけてくる。
「さあ……僕にはわからないよ」
もはや、あれの説明など不用だ。
あの方は、前の方に並んでいる。前後の人には悪いがとりあえず僕はほっとする。
普通な僕には不幸を哀れむことくらいしか出来ないよ。うん。
僕が道場の言葉を口にしようとしたら、先生が歩き始めたので、それ以上の話をすることは出来なかった。
「みなさん、入学の方おめでとうございます」
入学式は、壇上の上の校長先生の代わり映えのしない言葉で始まった。
「これから、あなた達をまっているのは……」
続く言葉も、何のひねりもなければ面白みのない言葉が続く。
僕は最後まで聞き取ることを早くも諦め、例のごとく周りに視線を飛ばす。
体育館の内装はやはり新築らしく、清潔だ。
式の行われている後ろ側に、保護者達はいるようで僕たちと同じようにパイプ椅子に腰掛けている。先生達は体育館の側面に並ぶように立っている。
そして、新入生のクラスは五つ。体育館の中央で校長先生の話を聞いている。
このクラスの確か一つは、スポーツ特待のクラスだったはずだ。
残りの三つはクラス一般受験で、残る僕のクラスが進学コースということか?
まて、それは明らかにおかしいぞ。いよいよ本当に僕が推薦された理由がわからなくない。何でだろう……
そんなことをもんもんと考えながら、入学式のほうを滞りなく過ごし、そのまま先ほどの教室に戻る。
「ふう」
席に着いた僕は、とりあえず肩をばきばきと鳴らす。入学式のような式は肩が凝ってしょうがない。
先ほどとは異なり、今度は教室の後ろに生徒達の保護者のみなさんが並んでいる。
さすがというかなんというか、みなさんきっちりとした格好だ。
一番後ろの席に座っている、僕の耳に嫌でも父母さん達の会話が耳に入ってくる。
「ええ、お宅の息子さんも」
「そうそう。そういうあなたのところのおぼっちゃまも」
……どうして、こういう会話は腹の探り合いみたいになっているのだろう。少しだけ疑問に思う僕だった。
僕は一つだけため息をつき、教壇に立っている先生の方に視線を向ける。
何故だか分からないのだが、先生は始まる前から凄く疲れているように見えた。
「えーと。とりあえず、初めまして。私はこのクラスの担任の武田敬一郎と申します」
何となく凄いやりにくそうだ。
おそらく、原因はアレだなあ。と、思いつつ眉無しスキンヘッド君にちらりと視線を向ける。眉無しスキンヘッドはどうどうと欠伸なんてしていた。
先生がんばってください。
僕は心の中でエールを送った。
「えーと、今日はこれくらいです」
あっという間に説明が終わった。どうやら、今日はもう終わりらしい。
かゆいところに手が届かないような違和感の正体は、結局分からなかったが、わからない以上大したことではないのだろう。僕は勝手に決めつける。
「あのさあ」
僕はさっさと、片づけの用意をして帰ろうとしたしたところ、先ほど僕に話しかけていた男子がまた声を掛けてきてくれた。
「俺、佐藤っていうんだ。君は?」
と、名乗ってきた。
「へえ、僕も佐藤なんだ。奇遇だねえ」
僕は感心するように、言った。
佐藤なんて名字、日本で一番多いとはいえ、最初に話すのが同じ名字の人というのは何となく妙な気持ちになる。まあ、出席番号順にならんでいることを考慮したら、それも詮無きことだが。
「へえ、だったら下の名前は?」
「うん。まことだよ」
僕は答えると、佐藤君はむう、と眉をひそめた。
「……どうしたの?」
「いや、俺も誠って言うんだ。字は違うけど」
「へぇー、そうなんだあ」
僕は感心するように頷く。
同じ名字の人なら腐るほど見てきたけれど、同じ名前で同姓同名の人というのは中々お目にかかれない。
「俺と君のどっちかが、佐藤で。どっちかがまことって呼ばれるんだろうなあ」
佐藤君はそう言って、笑った。
僕もはははと、笑う。
最初に友達になった人が、同姓同名の人というのだから、笑うしかないってものだ。
しかし、ことはそれだけに止まらなかった。
僕の隣の席に座っている女の子が、目を大きく見開いて僕の方を見ている。
おいおい、僕のことに惚れたのかい。よしてくれよ。
……なんてことはないのだけは保証できるが、一体何なのだろう。ただごとではなさそうだけど。
「な、何?」
「あなたたちも佐藤まことっていうの?」
僕と佐藤君はお互い顔を見合わせて、うんと頷いた。
そうすると、女の子はむう、と眉をひそめた。
それは、さっきの佐藤君のしていた表情にそっくりに見えた。まさかね。
「私も佐藤真っていうんだけど……」
期待をはずさないことを言うなあ、この子も……
僕は内心で盛大な拍手を送りながら、一方で冷静に思考する。
普通の学校というのは、名前順で出席番号を決めるものだ。
だから、僕の一つ席が前の佐藤君が同じ名前なのはまだいい。充分許容範囲だ。
しかし、一つ隣の席の人が同姓同名ならどうだろう。あら、不思議そこの席の人まで全員同じ名前ということに……
何てね。
まあ、以前の学校では一クラスに後藤という名字の人が五人いたりして、後藤五人集なんて呼ばれていたりはするものの、同姓同名なんてことはあり得ない。当たり前だが。
何となく、話の落ちも分かってきたところで、
「えー」
何て、僕の席の反対側から驚きの声があがる。
おいおい、これ以上一体何があるっていうんだい。
「お前も佐藤まことっていうのかよ」
「えー、お前もー」
……一体誰に対する説明ですか。
そうして、クラスが静まり返った。
勘のいい人も悪い人もだ。
「え、何? どうしたのみんな」
多分ことの真相に唯一気付いていない佐藤君2と佐藤君3だけ、きょろきょろと辺りを見回す。
一人、勇気を持った佐藤君……もう、誰が誰やら。とにかく、手を上げてから立ち上がる。
「ボクは佐藤マコトと申します」
と、自己紹介を始めだした。
「皆さんも気付いているようだから、あらかじめ言っておきます。はっきりと申し上げて、ボクは自分の名前に誇りを持っています。ボクのことは、マコト。もしくは佐藤とお呼びください。安易にまーくんなんて呼び方だけは決してしないでください」
誰もが、絶句するようなことをこの佐藤君は平然と言う。
「ふざけないで!!」
一人の佐藤まこと(女子)が立ち上がり、先ほどの言葉に抗議の声を上げる。
「私は、両親から付けて貰ったこの名前を大事に思っているわ。私のことこそをまことと、呼んでください」
一体誰に対する呼びかけなのか。
僕はそんなに大事かなあ、首を傾げてしまう。こんなありきたりの名前には別段誇りも自信も何もない。
僕がそんなことを思っているよそに、議論はどんどんヒートアップしていく。
「わしは姓名判断で絶対にこの名前じゃないといけないんじゃ」
「わたくしは、星占いで――」
極めてどうでもいい方向に進行しているような気がするのは僕だけなんですね。
そういえば、先生が出席の時も、全員席に座っているのだけを確認して、何も言わなかったのはこのためだったんだなあ、と僕は遠くに思いをはせてしまう。
僕が一人でしきりにうんうん頷いていると、いつの間にかクラスの三十九の視線が僕の方に集まってきていた。
「お前はどうなんだ」
「え、一体。何の話……」
「お前はどうなんだ」
オウム返しのように、同じ言葉が返ってきた。
三十九人全員が、見事にはもっている。
「だから、一体何の話で……」
「お・ま・え・は・ど・う・な・ん・だ」
「……………………はい」
勢いに屈し、僕は頷いてしまった。
「よく分かった。これがみんなの意思という奴だ」
ふとペンで大きく書かれた紙を佐藤まこと(もう、どうでもいいや)が、掲げた。
『私は佐藤まことです』
と、書かれていた。
「……?」
意味が分からないのは、僕一人だけだった。
「俺が絶対まことだからな」
一人の佐藤まことが、そんな言葉を残して教室を出て行った。
その後、出ていく人、出ていく人、全員が同じ様な捨てぜりふを口にして、去っていく。
僕は教室に一人残り、たっぷりと間をとって、
「一体何なんだー!!」
とりあえず、叫んでおくことにした。
続く……かもしれない。