ワトソン君の事件簿

 

「先輩!! もういい加減に起きてください」
 ボクは運転席の隣で眠る不届き者、浅田秀夫の体を揺する。
「ん……何かねワトソン君」
「何かねワトソン君、じゃありませんよ。それにボクは和戸です。ワトソンじゃありません」
「しかし、小学生ぐらいの時にはそう呼ばれていただろう?」
「そりゃ、そうでしたけど……て、そうじゃなくて!!」
 冒頭からいきなり脱線する先輩に向けて、思いっきりツッコミを入れてしまう。
 先輩は全く気にした様子もなく、よれよれのコートのポケットから取り出した黒縁の眼鏡をかける。別にそれで表情が引き締まったりすることなく、先ほどまでと同じように、ただ眠そうに辺りをきょろきょろと見回した。
「はて、ここは一体どこかな?」
 先輩はぼさぼさの頭を掻きながらそんなことを尋ねてくる。そのだらしなさは、ボクのさらさらの髪とは対照的だった。もっとも、突然招集されたボクも、だぼだぼのパーカーを着ているのだが。
「……本気で言ってます?」
 こくり、と頷く先輩を見て、ボクは盛大なため息を吐いた。
「ここはホテル『スイート』ですよ」
 ふむ、と先輩はあごに手を添えて、
「……ラブホテル? いや、君の気持ちは嬉しいが、生憎と私にはそんな趣味はないぞ」
 等という感想を口にする。
「違います。ラブホテルなんかじゃありません。ボク達は刑事五課に所属していて、このホテルに強盗傷害事件の事情聴取に来たんです。もういいですからとりあえず車から降りてください」
 初めからとてつもない疲労感に感じながらも、いやがる先輩を無理矢理車から引きずり降ろした。
 のっそりと立ち上がった先輩はボクを見下ろす。先輩は僕よりも頭一つぶん背が高い。と、言っても先輩が長身というわけではなくボクの背が小さいのだが。背が低いのみならず、往来の童顔がたたってしまって、弟にしたい奴ナンバーワンという不名誉な称号をいただいたりなどしている。いらない。
「じゃあ、行きますよ」 
 先輩をホテルの中の犯行が行われたとされている一室へと連れて行く。
 その部屋につくと、少し肌寒さを感じた。窓ガラスが割れているので、冷たい風が入ってきているようだ。
「いいですか、これから説明するんでちゃんと聞いといてくださいよ」
 何だか子守でもしている気分で説明を始める。
「えーとですね、今夜未明にこの部屋に強盗が押し入りました」
 ボクは警察手帳をめくりながら、このホテルであった強盗事件の概要を説明する。
 犯人が部屋のドアの鍵を壊して進入したこと。窓ガラスを割って外から逃亡したこと。取られた物が財布やブランド物の腕時計ではなく、服や下着などであること等々。
「……と、いうわけなんですが。ちゃんと聞いてます?」
「67%くらい」
 先輩はやる気なさそうに答える。
「67%って三分の二くらいですね」
 何とも微妙な数字だ。というよりも――
「そうじゃなくて100%全部聞いてください!!」
 ボクは無駄だとわかっていながらも、もう一度同じ説明をしてやる。
「ですけど、聞いていませんね」
 人が折角説明してやっているというのに、先輩は横を向いて欠伸なんぞしてやがる。
「全く!! やる気がないんですか?」
「うん。ないな」
 ここまではっきりと言われると、何とも言いようがない。
 おお、神よ。どうしてボクの先輩はこんなにやる気がないんでしょう。等と神様を責めていても仕方がないので、気にせずに話を進めることにする。
「で、この部屋に泊まっていた客ですが、犯人が物を物色中の時、丁度バスルームから出たところではちあわせになってしまいました」
 そこで、ボクはバスルームのほうを示す。
 内装は古くさいものの、構造自体は普通のホテルと変わらない。入り口横にクローゼットがあって、その隣にバスルームがある。
「慌てた犯人は客の頭部を殴打。その後、そこの窓ガラスを割って逃亡した、と考えられます」
 そう言って、ボクは割れた窓に近づいて、外のほうを見てみる。窓ガラスの破片は、鑑識の人やなにやらがすでに持って行ってしまっていている。
 ホテルの二階といえば、普通の家の二階よりも高そうなイメージなのだが、そうでもなさそうだ。これくらいなら、多少無理をすればそのまま飛び降りて逃げることが出来そうである
 窓の外に広がる風景は、微かな街灯の明かりがあるだけで薄暗く、人通りもない。少し入り組んだところに、このホテルが建っているせいだろう。
「ふむ。一つ聞きたいのだが」
「凶器のことですか? それは犯人がそのまま持ち去ったので、現在捜索中です」
「違う。そんなことはどうでもいい。私が知りたいのは客の性別だ」
「女性ですが」
 この言葉で、先輩は至極真面目な顔をする。
「つまり、犯人は女の人の裸を見ることが出来たんだ。いいなあ」
「…………」
「いや、頭から血を流している、というシチュエーションはかなりひくか」
 先輩は真剣そのものな表情をしてから、それはそれでそそるものが、と不謹慎きわまりないことをほざいている。
「一応説明しておきますが、被害者の女性の名前は佐藤明美。二十二歳でグラビアアイドルだそうです」
「ほほう」
「あと、彼女の双子の妹である佐藤美紀さんは、隣の部屋にて宿泊していました」
 直後、彼の瞳がきらっとまばゆいばかりに輝いた。
「それはぜひ話を聞かなくてはならないなあ、それは。うん」
 とってつけたようなセリフを言いながら、先輩は隣の部屋に向かった。
 が、


「いない!!」


 扉を開き誰もいないのを見た先輩は、愕然とした様子でうなだれる。
「彼女には下の方で待ってもらっているところです」
「く、何故それを先に言わない」
「それは、聞かれなかったからですね」
 ボクはしれっと答えると、先輩は本気で悔しそうに歯噛みした。


 下の階に降りると、ロビーのソファーに目当ての女性は座っていた。
 なるほど。双子の妹というだけあって、先ほど写真で見せて貰ったお姉さんによく似ており、整った容姿をしている。違うところは、髪の毛が妹さんのほうが長くて、どことなく気の弱そうな雰囲気をしていた。
 あとは、お姉さんを心配してたからだろうか? ホテルの中だというのにコートを羽織ったままで、着替えている様子がない。
「えーと、あなたが佐藤美紀さんですか?」
 確認のために一応尋ねると、彼女はこくりと頷いた。
「あの、姉は無事なんですか?」
「はい、頭部に軽い打撲を負っただけなので、命に別状はありません。意識の方もすぐに回復するでしょう」
 お姉さんが命の別状がないことを知ると、美紀さんは安堵するように息を吐いた。
「二三点、聞きたいことがあるのですが、かまいませんか?」
「はい、構いません」
「ここで、いえ駄目です。何て言う奴がいたら面白いのになあ」
「…………」
 隣から何か聞こえたような気がしたのは気のせいだろう。
 とりあえず、ポケットから警察手帳とペンを取り出す。
「えーと、今日はお姉さんと二人で宿泊に来ていますね」
「いやあ、君、綺麗だねえ」
「はい、わたしが姉を誘って。ありがとうございます」 
 美紀さんは律儀に、横の男の言葉にも応えてやってやる。
「いつも二人で旅行とかなさっているんですか?」
「いま付き合っている人とかいるのかな?」
「姉と二人きりで旅行することは今回が初めてです。いつもは家族みんなでですから。え、と。今は付き合っている人はいません」
 この質問には、美紀さんは首を二度横に振った。
「じゃあ、今回はどうしてお二人でなんですか?」
「いや、もったいない。君みたいな綺麗な人を放っておくとは。周りいる男達の目は節穴ばかりだな。それなら、どうだい? わた……」


「先輩は黙っといてください!!」


 我慢の限界でした。
 先輩は先生にしかられた生徒みたいに肩を落とす。
「あ、すみません。続きの方を」
「はい。わたしがちょっと……姉に相談したいことがあったもので」
 美紀さんは、少し俯きながら答える。ボクは今の会話の内容をさらさらと手帳に書き記した。どんな些細なことが事件に関係するか分からないのだから、記録は詳細に取っておかなければならない。
「あと、失礼ですが。事件があった七時頃、あなたは何をしていました?」
 この質問の意味を理解した彼女は、はっと息を飲む。  
 これはアリバイを聞いているのだ。それが、どういう意味か分からないほど彼女は愚かではないだろう。
「それは、わたしが疑われているってことですか?」
 控えめではあったが、嫌悪感を含んだ声で美紀さんは尋ねてくる。ボクは滅相もないといった感じに手を振ってみせた。
「いや、そう言う訳じゃありませんよ。これは一応約束ごとでして、関係者の方には聞かなければならない規則になっているんです」
 この言葉に、美紀さんは不承ながらも納得はしてくれたようだ。
「そうですか。わたしはその時間には映画の方を見に行ってましたんで、六時半くらいにこのホテルから出かけています」
「映画、ですか?」
「はい。『今日、会いにいきます』です」
「『今日、会いにいきます』? 何だそれは?」
 今まで黙っていた男が、横から口を挟んでくる。
「『今日、会いにいきます』ですよ。知らないんですか? 今一番話題の泣ける映画ですよ。これは三部作構成で、二作目は『明日、会いにいきます』。三作目は『昨日、会いにいきます』です」
 全く知らなさそうな先輩に、とりあえずの説明をしてあげる。
「個人的には昨日、会いにいきますという、日本語として激しく間違っているような気がする映画が気になるのだがね」
「ああ、それはですね。昨日っていう名前の恋人にあいに行く話みたいです」
「随分と詳しいな。ワトソン君もその映画を見に行ったのかい?」
 先輩のこの言葉で、内心ボクは落ち込んでしまう。
 悲しいことにボクには付き合っている人なんていない。
 そして、そんことよりも、何よりも。目の前にいる男は女の人に不自由していないという事実。何とも腹立たしい。
「一緒に行く人もいないのに行くわけないでしょう。ボクは元々そこまで映画が好きなわけじゃありませんし。一人で行ったら、感動して泣く前に、一人きりという自分のシチュエーションに泣いてしまいます」
「君は随分巧いこと言うなあ。座布団を一枚くらい進呈してあげたいところだよ」
「結構です」


「で、彼女のことどう思います?」
 話も終わり美紀さんから離れたところで、ボクは先輩に尋ねると、
「うむ。綺麗な子だった」
「ちがいます。ボクが言いたいのは、彼女は怪しくないですかってことですよ」
「ふむ。何故彼女を疑う」
 先輩は、ずれた眼鏡を直しながら聞いてくる。
「えーとですね」
 別にボクとて、全く根拠がなくてこんなことを言っているわけではない。
「実は彼女、先日恋人を姉の明美さんに取られているらしいんですよ」
「ふむ。つまり、明美君も今フリーではないわけか。ふふ、これはぜひとも誘わなければな。燃えるな」
 ボクは頭が痛くなってくるのを、どことなく感じた。
「それは、後にしてください。ボクが言いたいのはそのことで、彼女が姉を恨んではいないかってことです。しかもそれは今回だけではなく、過去に何度もあったそうです」
 理由はそれだけではない。
 今回の事件は、強盗傷害事件として扱われている。ボクたちの来る前に、すでに人相風体の事情聴取だけが軽く行われており、緊急配備が成されている。
 けれども普通こんなホテルを狙って強盗なんて入りにくい。
 こんなところを狙うのは、それこそ特定の人物を狙った――この場合だと佐藤明美さんを狙ったことになる。彼女はグラビアアイドルという職業上、そういうふうに狙われる可能性は十分にあった。現に盗られた物は、金品というよりも明美さんの衣服や下着などである。
 けれども、それならばおかしいことが浮かび上がってくるのだ。
 明美さんを狙ったストーカーの犯行ならば、気絶した彼女に何も手を出さずに逃げてしまうということは考えにくい。彼女に手を出さないような人が、このような犯行を行うとも考えにくい。そして事情徴収でも人相風体の情報は何も得られていない。
 なんともちぐはぐなこの状況。
 彼女に手を出さないような人物による、犯人とは――
 そうボクが言うと、先輩は、
「彼女は双子の妹だったな。顔の方は似ているのか?」
「はい。姉の方は化粧が少し濃かった気がしますが」
 けれども、似ているのは容姿だけであったようだ。性格の方は、妹の方が内気で姉の方が明るく社交的だったようである。そのせいで、妹である美紀さんは、結局いつも姉である明美さんに男の人を取られてしまうらしい。ボクが彼女を見て、最初に感じた雰囲気は間違ってはいなかったようだ。
 先輩は軽く笑うと、
「なるほど。私はお姉さんの方にも声をかけなければならなかったのか」
 などと、のたまいやがった。
「……まあ、いいですけど。次はどうします?」
 半ば諦めながら、ボクは尋ねる。
「そうだな。一応聞いておくが、他に泊まっていた客は?」
「えーとですね」
 警察手帳をめくりながら答える。
 ホテルスイートの従業員は島田夫婦に、その娘一人の三人である。
 現在、ホテルスイートは改装中であり、三階より上は工事中となっているために宿泊できるのは二階だけなのである。前までは、アルバイトを何人か雇っていたみたいだが、今はその必要がないらしく雇っていないようだ。
 そして、今日このホテルに泊まっているのは先の姉妹と、三人ほどのビジネスマンだ。
 ビジネスマンの三人は、彼女の悲鳴が聞こえた時にはホテルの部屋にいたらしい。彼女の悲鳴が上がったのと同時に三人とも姿を見せているらしく、この事件には関係がなさそうである。
「一応話だけでも聞いておかないといけませんね?」
「いや、いい。むさい男どもなんかと話したくない」
 気持ちいいくらい、きっぱりと断言された。
 しかし、そう言うわけにもいかないので、一人ずつ話しを聞いていくことにする。


 一人目。倉西修三さん。
「ふむふむ、なるほど……」
 ボクが話を聞いている最中に、ちらりと先輩を見てみる。
 先輩はやる気なさそうに、欠伸をしていた。


 二人目。橋本孝さん。
「ああ、そういうことですね……」
 先輩は人様のベッドの上に腰掛けて、実にくつろいでいた。


 三人目。金田政志さん。
「その時間は、この部屋でパソコンをうっていたと」
 先輩は……いなかった。


「全く、いつの間に……」
 下の階に降りると、幸い先輩の姿はすぐに見つかった。
「おーい、こっちこっち」
 先輩はホテルの売店で、何かの雑誌を片手に手招きしていた。ビールやおつまみが、中々高い値段で売られていたり、あまり地方には関係のなさそうなお土産が売られていたりする、一般的な売店だ。今は事件捜査中のために店は閉められており、薄暗い明かりしかついていない。
「いい加減、まじめに仕事してください」
「いいからいいから、ほれ」
 先輩はボクに持っていた雑誌を押しつけてくる。一体何の雑誌かと思い、見てみると、水着の女の人がアップで映っていた。
「せ、先輩!!」
 思わず赤くなりながら、抗議の声を上げるボク。
「こんなもので、赤くなるなんてまだまだ子供だなあ。ほれ、こっちにはもっとすごいのが……」
「結構です!!」
 ぴしゃりとはね除ける。
「まあまあ、その写真に映っているのは明美君だよ」
「え」
 先ほど手渡された雑誌を指さしながら、先輩は言う。胸の大きさに気を取られて気付かなかったが、確かに写真の女性は佐藤明美さんであった。
「あれ、この写真の明美さんは髪の毛長いですね。美紀さんと同じくらいの長さじゃないですか。随分前の写真なんですねえ」
「それは、かつらに決まってるだろ。何を言ってるんだ、ワトソン君」
 冷静な突っ込みに、ボクはあははとごまかすように笑って、雑誌を本棚に戻す。
「さあ、先輩。聞き込みの続きですよ。続き。残りはあと少しです」
 ボクは先輩をとりあえずエレベーターの中に押し込んで、上のボタンを押した。
「しかし、随分とぼろいホテルだな」
「そうですねえ」
 特に否定する内容でもない。ボクは先輩の率直な感想に同意するように頷いた。
 事実。このホテルはぼろい。廊下の照明は薄暗いし、壁の塗装もはがれかけている。ドアの鍵も当然カードキーなんかではなく旧式の物である。廊下にも暖房が付いているはずなのに、冷たい空気がどこからともなく流れてきているのを感じた。きっと、どこか歪んでおり隙間でも出来ているのだろう。
 今乗っているエレベーターもこれまた旧式で、ぎしぎしと揺れている。はっきり言って怖い。演出さえ考えれば、このままお化け屋敷の舞台として使えるのではなかろうか。まあ、だからこその改装なのだろうが。
「何で、こんなホテルにあの姉妹は泊まっているんだ?」
 ここのホテルは、ぼろさから想像できるように、値段は格安である。ついでに食事までセットでついてくるため、ビジネスマンに人気がでるのは当然であるといえるだろう。しかし、彼女らのように観光の目的等に使われるのは珍しい。先輩が疑問に思うのも無理なからぬことだ。
「それはですね。ここのホテルの一人娘の方が、彼女ら姉妹と高校時代の同級らしく、そのなじみだそうです」
「ほほう」
「あと、その子が今回の第一発見者です……」
 悲鳴が上がったとき、オーナーの娘さんである、島田みどりさんは開いている部屋の掃除をしていたようである。何事かと思った彼女は、部屋を飛び出して悲鳴の聞こえた部屋に向かったらしい。悲鳴が上がってすぐに、窓ガラスの割れる音が響いたようだ。
 みどりさんが部屋についた時、鍵はすでに壊されていた。一瞬ためらったらしいが、意を決してノブを回すと、明美さんが頭から血を流した状態で倒れていたようだ。その姿を見て彼女も悲鳴を上げてしまった、とのことである。
「だ、そうですけど……」
 手帳から目を離したときには、すでに先輩の姿は目の前にはなかった。
 遅れて、すでにその子に話を聞きに行ったんだってことに気付く。
「ああ、もう。いつもこのぐらい行動力があればいいのに」
 ボクも、慌てて先輩の後を追った。

 ボクが先輩に追いついたときには、すでにみどりさんと思われる人と仲良さそうに談笑していた。
 声をかけようとしたら、先輩の方が先に気付いたらしく、彼は彼女に手を振ると、みどりさんは笑ってから頭を下げて、そのまま行ってしまう。可愛らしいリボンが背中に揺れていた。
「どうでした?」
 ボクが尋ねると、
「ふ、ぬかりはない。明日の九時に駅前で待ち合わせだ」
「そっちかよ!!」
 ちゃんと仕事をしろよな、と思うよりも先に心底敬服してしまう。少なくともボクには、初めてあった人をお茶に誘うようなことは出来ない。
 ちょっとだけ羨ましい……ちょっとだけ。
「ちゃんと、話をきいたんでしょうねえ?」
「むろんだ。携帯の番号もアドレスも押さえてある」
 そーじゃなくて!!
 ボクは、ジーザス、といった感じに頭を抱えた。
「一つ忠告しておくが、あまり怒ると血圧が上がるぞ」
 誰のせいだよ、と叫んでも仕方がない。とりあえず落ち着くために、深呼吸を何回か繰り返す。
「彼女のアリバイはどうでしたか?」
「また、人を疑っているのか? いかんぞ。そんなに人を疑ってかかっては。ラブ&ピースだ」
「アリバイは?」
「……まあ、彼女は話の通り空き部屋の掃除をしていたそうだ」
 とりあえず、今先輩が言ったことは警察手帳にメモをしておく。
「他にどんなことを、話していたんですか?」
 どうせ、みどりさんのことしか話していないだろうが、とりあえず聞いてみる。
「ん。そんなの決まっているだろう。みどり君が昨日何をしていたとか。明日何をしたいかとか。みどり君が明美さんたちとどんな遊びをしているかとか。その明美さんの家にこの間、空き巣が入ったこととか……」
 案の定――て、はい?
 半分聞き流していて、よく聞き取れなかったのだが。今最後に大事なことを言わなかったか?
「明美さん……前に、空き巣にもあっているんですか?」
「そうらしいな」
 それは偶然なんだろうか?
「ふう、そろそろ帰っても良いかな。明日のデートに備えて寝とかなければならないんだから」
 もう十分すぎるほど仕事はしただろう、と言わんばかりの口調である。
「駄目です。最後にこのホテルのオーナーが残っています」
「あー、私はパス。それは君に任せた。私は明日に備えて帰るから」
 ボクはにっこりと先輩に笑いかけて、
「ふふ、そんなこと許すわけがないじゃありませんか」
 がしっと先輩の肩を掴む。
「む、放せ」
「駄目ですよ先輩」
 ボクはにこにこ笑いながら、ずるずると先輩を引きずっていく。
「ええい、放せ。て、腕極ってるって、極まって。いた、痛――」

 それで、ボクがオーナーとその奥さんに話を聞いたところ、事件があったときオーナーは、厨房で料理をしており、奥さんは買い物に出かけていたそうだ。
 ちなみに、厨房といってもそんな大きいものではなく、一般家庭のキッチンを少し広げたくらいの空間しかない。それにホテルの内装と同様の古くささだ。色々なところが黒ずんでいる。
「あの、チェックインを記録した物を見せて貰いたいんですが……」
「あ、はい。それは、フロントの方に」
 ボクが頼むと、オーナーにフロントの方へ連れて行かれる。
 入り口のフロントの所に、チェックイン用紙は置かれていた。
 これまた今時見かけなくなったような用紙だ。
「上から、美紀。倉西修三。橋本孝。金田政志。佐藤明美と。これは宿泊客の来た順に書かれているんですよね」
 ボクは書かれている通り読み上げてから、オーナーに尋ねると、そうですと頷いた。用紙には名前の他に住所、電話番号とホテルに来た時間が書かれている。その隣には、部屋番号が記載されている。
 美紀さんは三時十五分。明美さんは六時と書かれてある。美紀さんのほうが随分と早く来ているようだ。
「美紀。倉西修三。橋本孝。金田政志。佐藤明美……」
 何故かふと気になって、ボクはもう一度、宿泊者の名前を読み上げてみる。やっぱり何か違和感を感じる。何でだろうか。
「あ、あの……」
「どうかしましたか?」
「あの、刑事さん。犯人は捕まりますかね?」
 オーナーは心配そうに尋ねてくる。
 なるほど。彼の心配はもっともなことだろう。こういうサービス業で一番怖いのは悪い噂だ。悪い噂が広がると、元々つぶれそうなこのホテル、一瞬で元々少ない客足も遠のいてしまうことになるだろう。
 まず、スイートというラブホテルみたいな名前を変えるところから、始めた方がいいですよ、と思わないでもなかったが、それは今の事件と関係ないことだから置いておく。
「ああ、大丈夫ですよ。ねえ、先輩」
 隣向くと、先輩は携帯電話で誰かと話をしていた。
「先輩!!」
 多少強く呼ぶ。どうせまた女の人とでも話しているに違いないのだ。明日の約束の確認でもしているのではなかろうか。
「ん、何だ?」
 先輩は、携帯を閉じてこちらを向く。
「だから、犯人はすぐに捕まりますよね」
「ああ」
 と、ボクの言葉に同意するように頷いてから、先輩はこう続けた。
「だって、犯人ならもう分かったんだから」
「ええ、そうですよねえ」
 あまりにも当然なことのように言われたので、ボクは一瞬先輩が何を言ったか理解できずに頷いてしまう。


「て、えええ!!!」


 遅れて驚愕の声が三つ、上がる。
 一つはむろんボクで、残りはオーナーと奥さんのものだ。
「犯人が分かったって……犯人って強盗犯のことですよね?」
 そんなもの他にはいないのだが、慌ててしまっているためにそんな言葉を口走ってしまう。先輩はむろんだ、とばかりに頷いた。
「それでは一体、誰が犯人なのですか?」
「まあ、まあ。とりあえずホテルにいた人を集めておいてくれ。話はそれからするからな」


 そうして、ホテルのエントランスに集められたのは、
 佐藤美紀さん。
 島田みどりさん。
 オーナーとその奥さんの島田夫妻
 ビジネスマン三人の倉西修三さん、橋本孝さん、金田政志さん。


 ――という七人である。
「えーと、犯人はですね」
 先輩は言葉を切って、集まったみんなの顔を見回した。
 ごくり、と唾を飲む音が聞こえる。
 張りつめた雰囲気の中で、集められた人達は牽制しあうかのように、お互いの顔を見合っている。
「その前に、今回の事件の説明をしましょう。ワトソン君」
「はい」
 ボクは今回あった事件の概要について彼らに話した。
「――と、いうことです」
 ボクは説明し終えて、先輩の方を見る。
「さて、ワトソン君はこの事件をどう考える?」
 先輩は不敵な笑みを浮かべながら、そんなことを言ってくる。
「どうって……」
 正直、この中の誰が犯人なのかはさっぱり検討もつかない。
 犯行の行われた時間のアリバイを整理すると、佐藤美紀さんは映画に行っていた。島田みどりさんは空き部屋の掃除をしていた。オーナーは厨房で料理をしており、奥さんは買い物のため外出していた。ビジネスマンの三人は、部屋でパソコンに向かっていた。犯行が出来るかどうかはともかくとして、アリバイと呼べるものは誰一人として成立しない。
 そして明美さんの部屋のドアの鍵を壊し、部屋を物色し、彼女に怪我をさせてから窓から逃げ出す。という犯行が出来る可能性があるのは、ビジネスマンの三人以外は誰でもやろうと思えば出来ると言うことである。
 しかし、この場合大事なことは出来るかどうかではなくて、何故そのような犯行に及んだのかということのほうである。
 ボクとしては一番怪しいのは、やはり被害者の妹である佐藤美紀さんであると思う。けれども、動機があるからといってそれだけの理由で、彼女を疑うのはおかしいことだ。それ以前に、彼女が犯人であるという証拠など何一つないではないか。
 しかし、先輩は犯人が誰であるかを断定している。つまり、先輩は誰が犯人であるという証拠を掴んでいるのだ。
 それは、一体いつだ?
 少なくとも、ボクが彼を見逃したのは、ビジネスマンに聞き込みをしていたときと、島田みどりさんのところに話を聞きに行った時だけである。その間に、明確な証拠を掴んだとは考えにくい。
 それじゃあ、いつ。先輩は犯人を断定できる証拠を掴んだのだろうか?
 一緒にいたが、先輩だけがそのことに気付いて、ボクはそのことに気付かなかったということだろうか。それでは、ボクにはこの事件の犯人が分かりようがない。
 何か、何かあっただろうか。ボクだけが気付かなかった大事なことが。
「残念ながら、ボクにはちょっとわかりません」
 正直にギブアップ宣言をする。警察の人間は、漫画に出てくる迷探偵のような無責任な発言などはしてはいけない。
「……ふむ。私もさっさと帰りたいので単刀直入に言おうか」
 その場にいた全員が息を飲む。むろんボクも。


「犯人は田中隆二だ!!」


 数瞬、何とも言えない空気がこの場を漂う。
「いやあ、一度言ってみたかったんだよ。このセリフ」
 何か――いや、大いに間違っているような気がするのはボクの気のせいか?
「田中隆二って、一体誰ですか、それ?」
 ここに集まった人たちもみんな、頭にクエッションマークを浮かべている。
 ボクは頭の中で、ビジネスマン三人の倉西修三、橋本孝、金田政志という名前がリフレインしている。
「誰と言われてもな。佐藤明美の熱烈なファン。悪い言い方をすればストーカーだ」
「…………」
 みんな黙ったまま何も言わない。状況がいまいち飲み込めていないのだ。
「まあ先ほど、電話で犯人が自首してきた、と連絡があったんだがね」
「つまり、これって」
「君が説明したとおり、ただの強盗事件じゃないか」
 先輩はきっぱり断言した。
「でも、それはおかしいじゃないですか。何で、明美さんのスートカー……さんは彼女に手も出さずに逃げ出したりするんですか?」
 すでに犯人が自首してきたとのことだから、こんな質問は無意味だろうが、聞かずにはいられない。
「そのへんは聞いていないんだが……ワトソン君は、何がそんなに不満なのかね。犯人は空き巣をしようとした、ただのストーカー君なんだろ?」
 先輩は、本当に不思議そうに首を傾げる。
「だから、ストーカーさんは彼女に……」
 空き巣という言葉で、はっと気付く。
 そうか。そうだったんだ。解答を与えられることによって、こんがらがっていた、紐がほどけたような気がした。
「なるほど。これは、もともと明美さんの体を狙っての犯行じゃなかったんだ」
 これなら、今回の事件の辻褄が合う。
「どうしたんだい?」
 先輩はいぶかしげに尋ねてくる。
「この事件はですね……」
 ストーカーは、いつものように被害者である佐藤明美につけていた。
 それで、ホテルに入って彼女は荷物を置いて出かけたように見えた。それが、先に着ていた妹の美紀さんであることに気付かずに。
 ストーカーはホテルに入り、明美さんの部屋に入って物色をしようとした。
 その時丁度、シャワーから出てきた明美さんと鉢合わせしてしまったのだ。
 いないと思いこんでいたストーカーは激しく動揺して、明美さんの頭を殴打してしまっただろう。
 そしてそのまま窓を割って逃げてしまった、というわけである。
「なるほどねえ」
 ボクが得意げに説明すると、先輩は感心するように頷く。
「でも、普通間違えるかしら。だって、犯人は明美のストーカーだったんでしょう? その犯人が明美のことを間違えるかしら」
 それまで黙って聞いていた島田みどりさんが、聞いてくる。
「そうだ。間違えるのか?」
 先輩は、自分では全く考える気がなさそうに、ボクを見る。
「あーとですね。これは、本当にただの推測なんですが」
 ボクはとりあえず、落ち着くためにこほんと咳払いを一つ入れて、説明する。
「明美さんは確か普段の生活ではかつらをされてましたよね。やっぱりそれが原因で分からなかったんじゃないかな、と思うんですけど」
「ふ、お子様なワトソン君には経験が無いから分からないかも知れないがね、女の人というのは簡単に別人に化けることが出来るしな。化粧という現代に残された唯一の魔術でね」
「む、それぐらいは経験がありますよ」
「どうだかね」
 先輩は、まるっきり本気にしてないのか、にたにたと笑っている。
「まあ、ようは先入観の問題だと思います。いないはずの部屋に人がいた。彼女が出かけたと思いこんでいるストーカーは部屋を間違えた、というほうに思いこんだのではないでしょうか。それか、相手のことを見もせずに殴ったか……。どちらにせよ、犯人はパニックを起こして冷静ではなかったんでしょう。前に空き巣をしようとして、捕まってますしね。後の問題として、オーナーも、奥さんも、みどりさんも、他の人たちも部屋や厨房にいたために気付かなかったということです」
 あとは、ホテルに入ってもチャイムはならない。鍵を壊しても警報もならない。監視カメラすらついていない。そんなずさんな警備体制が悪かったこと。
 ボクは心の中でそんな言葉を付け足した。
 説明を終えたボクは、大きくため息を吐いて先輩を見る。  
「全く。犯人がストーカーなら、何でホテルの人をみんな集めたりするんですか?」
 こんな風な演出をされたら、誰だって犯人がこの中にいると思いこんでしまうだろう。
 現に集められた皆さんも、予想通りというか何というか、あっけに取られた顔をしていた。
「それは、事情徴収に協力してくれたんだからね。私には彼らに犯人を教える義務がある」
 先輩はそう言って締めくくった。



 こつこつこつ……。
 病院の廊下を歩く音が妙に響く。
 薄い明かりしかない深夜の病院は、どこかひどくもの悲しい。深夜でも看護士がいるイメージだが、幸いというか今はわたしの他に、廊下を歩いている人はいなかった。
『佐藤明美』
 そのプレートが表示されている、病室の前で足を止める。
 中に入る前に、もう一度周りを確認した。
 ……誰もいない。
 わたしはそっと、音をたてないようにドアを開いた。ドアから差し込まれるわずかな光によって、部屋の輪郭がわずかに浮かび上がる。
 その中で部屋の端のほうに置かれてあるベッドに目を向ける。
 ベッドには佐藤明美が横になっていた。それほどの怪我ではなかったのか、頭部に簡単に包帯が巻かれているだけである。寝息も安らかなもので、本当に怪我をしているのだろうか、と思えてくる。
 わたしは明美のベッドまで近づいて、彼女の顔をのぞき込んだ。
 目鼻がすっきりとしていて、化粧をしていなくても整った容貌だ。確かにグラビアアイドルという仕事をしているだけのことはあると思う。そして――もっとも、嫌悪する顔だ。
 わたしはぐっと唇を噛みしめてから、懐に忍ばせておいた包丁を取り出す。
 嫌悪すべきその顔に突き立てるべく、振り上げて――――
「やめといたほうがいい、と私は思うがね」
「――!!」
 予期しない声が、暗い部屋の中に響いた。
「誰!!」
 とっさに振り向く。
 そこには、壁に寄りかかるようにして立っている男がいた。 
 よれよれのコートに、ぼさぼさの髪の毛。黒縁の眼鏡が少しだけずれている。確か、先ほどまでホテルスイートに来ていた、浅田秀夫という刑事だ。
「いま彼女を殺したら、今度は間違いなく君が疑われるよ」
 浅田は無造作に、こちらの方を指さす。包丁を握っているわたしの手を。
 わたしは無駄だと分かっていながらも、包丁を背中に隠す。
「何で、こんなところにいるんですか?」
「明美君のお見舞いと言っても、信じて貰えないだろうからね。勿論、君の推察通り、君が来るのを待っていたからだよ。佐藤美紀君」
 こちらの動揺など無視しているかのように、浅田はわたしの名前を、余裕を持って呼んだ。
「何で、わたしが、ここに来る……と?」
 自分でも声がうわずっている、と自覚できるのだが、どうしようもない。
「何でも何もあんなに思い詰めた顔をしていたらね。それに、ワトソン君は気にもしてなかったけど、気になったことが二つあってね」
 浅田は意味ありげな笑みを浮かべる。
「何のことですか?」
「映画を見に行くのが目的じゃない旅行で、映画をわざわざ見に行くなんて話、私はあまり聞いたことがないんでね」
「それは……」
 心臓の音が高速で脈打つ。
「ただ、姉が遅れると言ったから、時間が余っているんで……」
「ほう。君がホテルを出て行った時間には、すでに君のお姉さんはついていたはずなんだが?」
「…………」
「時間を整理するのなら、君がチェックインしたのは三時。君が出かけたのは六時半だ。そして、お姉さんがチェックインしたのは六時……。はて、なんで、わざわざそこまで待ってから行ったんだい?」
 何も言い返せない。
 わたしの返答なんて待っていなかったのか、浅田はずれている眼鏡を外した。
 へらへらと笑っている口元とは裏腹に、鋭い視線がわたしを射抜く。
「二つめはチェックイン用紙だ。このホテルは古いからね。チェックインの用紙は到着した順に書かれているんだったね。しかも、不用心なことにチェックイン用紙は入り口に置きっぱなしだ。犯人は当然それを見て、お姉さんの部屋を知ったんだろう」
「それが、何か?」
「違和感の正体はね、君だけが名前しか書いていなかったからだよ。佐藤美紀じゃなくて、美紀、とね。違和感を感じたのはそこだよ。こういうのは普通、フルネームで書く物だろう? まあこんなことは、知り合いの店だから許されることだが……。ストーカー君に少しでも気付いて欲しくなかったからじゃないかな。同じ名字の、双子の姉妹がいるということを」
 浅田は嫌な笑みを浮かべている。全然底の見えない、全てを見透かしているような笑みを……。
 ぽたりと、冷や汗が落ちた。
 口の中もいつの間にかすっかり乾ききっている。
 この人は全部気付いている。
 わたしが、姉のストーカーを探し出して、わたしとばれないように今日のことを教えたことも。そのストーカーが空き巣の犯人であることも。最近注意されていて、ストーカーが苛ついていたことも。私がそのストーカーに見つからないように、姉とは時間をずらして、早くホテルについたことも。わたしが、姉のふりをして外に出かけて、留守にしたように見せかけたことも――――何もかも。
「それで、あなたはわたしを逮捕するためにここに来ていたんですね」
「ん。どちらかと言えば、君に彼女を殺させないために来た、ということにしておいてくれないかな?」
「……?」
「君みたいな綺麗な子が、人を殺すところなんて見たくないんでね」
 浅田はすこし、おどけた感じに手を広げてみせた。
「まあ、私が言ったのは、ただの推論にすぎないよ。証拠なんて何一つ無い。だから、私に出来るのはここまでだ」
「でも、今の――」
「はて。何のことかな?」
 浅田は何のことやらという風に肩をすくめる。しかも、そのまま背を向けて、部屋を出て行こうとした。本当にわたしのことを逮捕するつもりがなさそうである。
「あ、あの――」
「……嫉妬では、女の魅力はあがらない」
「え?」
「男を取られたら、取り返せるように魅力を上げなさい。そのときにまた、デートに誘わせてもうことにするよ」
 そう言って、浅田は病室を出て行った。
 残されたわたしは。



 病院からに出てきた、先輩はうーんとのびをしている。
「先輩、明美さんに変なことをしてないでしょうねえ」
「失礼な。君は一体私のことを何だと思っているんだ?」
「女好きのおじさん」
 ボクはきっぱりと断言した。ボクの言葉に、先輩はしゅんと押し黙ってしまう。案外おじさん扱いされたことがショックだったのだろうか。
「そういえば、さっき美紀さんが入っていったんだけど、あいませんでしたか?」
「いや、見てないな」
「そりゃ、そうですねえ」
 会っていたらこの人が美紀さんみたいな綺麗な人を、放っておくはずもない。最悪今夜は帰ってこない。
「さて、帰るとするか」
「まだですよ先輩。まだ、事後処理が残っています」
「全く、明日も早いというのに……」
 先輩は眉をしかめながら、車の助手席に乗り込む。
「先輩一つだけいいですか」
「何だい?」
「ラブホテルか? と、言ってからそんな趣味はないと言われたことにボクは傷ついたんですけど」
 ボクの名前は、和戸園子。
 だぼだぼのパーカーを着ていたり、弟にしたい奴ナンバーワンなどの不名誉な称号をいただいていたり、化粧はリップクリームくらしか塗ったことがなかったりするけれど――生物学上では女に分類されている以上、この言葉は結構傷つく。
 先輩は不敵な笑みを浮かべて、
「三年早いよ、ワトソン君」