開け放たれたその扉。
広がる世界は、闇の色。
広く深いその景色。
その中央にて、少年は一人立つ。
落ちこぼれの吸血鬼。
そう呼ばれる吸血鬼の城の扉の前に、美しい女性が立っている。
その口はきつく結ばれて、目は決意で満ちている。
「……フィード」
その名前を呼び、扉を開いたソシルは、ホールの中央に立つ人物に目をやり、思わず目を細めてしまう。
「やあ、狩り人よ。よく来たね。こんな辺境に何の用だい?」
「貴方が、カルア伯爵ですね?」
「うん。その通りだけど」
ソシルが尋ねると、カルアは頷いた。
「では、その命。貰い受けます」
ソシルは、懐から銃を抜き、カルアに突きつけて、そのまま発砲した。
「うわ。いきなり君は何をするんだ!!」
カルアは悲鳴を上げて、部屋の隅に隠れる。
「勿論。貴方を狩るためですよ。吸血鬼」
全弾放ち終えた銃を放り、新たな銃を取り出して、カルアが逃げたと思われる方を向けてひたすら打ち続ける。
鳴りやまない銃声。
銃声が鳴りやんだのは、およそ三つの銃の弾丸を使い切ってのことであった。
ソシルは撃ち終えた銃のマガジンを換え、カルアのいる方に突きつけながら近づく。
「うわあ、びっくりしたあ……」
予期せぬ方からの声。
それはすなわちソシルの背後からのもの。
ソシルは咄嗟に背後を振り向くも、カルアに腕を払われるのが先であった。そのまま銃も取りこぼしてしまう。
「落ちこぼれとはいえ、一応は吸血鬼、ということね」
「まあね。昔から逃げるのだけは得意だったから」
「いいわ。私の負けです」
この言葉が意味することは、実質殺してくださいと同義の言葉である。
懐の銃を抜くよりも先に、絶命させられるのは明白だ。
けれども、
「そーか。それはよかった。それならお茶でも飲んでいくといいよ。出来る限り、高級な物を用意するから」
吸血鬼はそんなことを口にした。
ソシルは訳が分からずに、きょとんとした顔でカルアのことを見る。そして、遅れて言葉の意味を理解し、顔を紅潮させて怒った。
「く……貴方。私のことを馬鹿にしてるの」
「え。どういうことです?」
カルアはカルアでソシルが何故腹を立てているか、さっぱり分からなかった。そのために、一度首をひねるが、結局分からなかったのか、まあいいや、なんて漏らした。
「とりあえず、奥の部屋にどうぞ」
カルアはそう言って、ソシルをエスコートするように、ホールの奥に見える扉に向けて、歩き出した。
無防備に背中を向けるカルアに、ソシルは懐にひそめてある銃に手をかけようとしてやめた。ここまで無防備にするということは、それ相応の自信があるということだろう。せっかく拾った命をすぐに無下にすることはない。ソシルはそう思い、カルアの横に並んだ。
間近で見る吸血鬼の容姿は、幼く十代半ばに見える。着ている衣服などは、人の貴族が着ている物とほぼ一緒だが、貴族の老人達に比べ、カルアは容姿が端麗な分遙かに似合っているように見える。
注意深く、カルアを観察するソシルに比べ、カルアはお客様が来るのは何年ぶりかなあ等と、のんきなことを口にしていた。
ソシルが案内されたのは、中央に大きなテーブルのある部屋だった。テーブルには清潔な白いテーブルクロスがひかれてある。
「そこに座って、待っておいてください。すぐに戻りますから」
カルアはソシルにそう言った後、にこりと笑ってその部屋の奥へと姿を消した。
一人残されたソシルは所在なさげに、懐にしまった銃をいじる。敵の本拠地に一人でいるというのは、激しい焦燥感を感じてしまう。このまま、逃げてしまうか、と思ったときに、カルアは部屋へと戻ってきた。盆の上にポットとカップを二つのせて。
「どうぞ。一応この城で保管されている物で、一番いい葉を使った紅茶です」
そう言って、カップに注いだ物をソシルに差し出す。
紅茶は薫り高く、温かな白い湯気をあげる。
「冷める前にどうぞ」
カルアは紳士的に自分が飲むよりも先にソシルに勧める。
ソシルはそっとカップを持って口に運んだ。
「……美味しい」
口の中に薫り高い匂いそのままに広がっていく。
その感想に、カルアは満足げに頷いて、自分も紅茶を口に運んだ。
「うん。美味しい。やっぱり高級な物は違うなあ」
「ええ、そうね」
あまりに素直な感想だったため、思わずソシルはつられるように同意してしまった。
「やっぱり、人と一緒に飲むと違うものだね。全然違うよ」
「……この城に、貴方以外の人は?」
先ほど疑問に感じたことを、ソシルは尋ねた。
この城には全く、人の気配を感じられない。
目の前にいる吸血鬼ですらも、気配そのものは感じることが出来るのにだ。
「僕以外にはこの城にはだれもいないよ」
すると、予想外の返答が返ってきた。
「え。どういうこと?」
城に一人で住むなどあり得ない。このカルアが眠り続けている吸血鬼ならともかく、れっきと活動しているのは、テーブルクロスの清潔さなどで明白だ。
「あ。やっぱり、僕みたいな人が、お茶を入れたりなんて、こういったことをするのは変かな?」
「……いえ、別に」
常識に照らし合わせれば変というだけで、おかしなことではない。
「うん。人を雇う蓄えくらいはあるけれどね。僕は元々こういうことが好きだからね。わざわざ人にさせたくないんだ。母様には、貴族はそのようなことをするものじゃないって、怒られてたんだけどね」
早口でまくし立てられ、ソシルは曖昧に頷くことしかできない。ただ、この城全体を掃除する労力を考えると、ほんの少し滅入るような気がした。
それからも、カルアは嬉しそうにソシルに話しかける。ソシルはぽつぽつと頷くことしかできなかった。
会話をしている最中、自分は一体何をしているんだろう。そんな気分をソシルは思った。
殺さなければならない相手と、何を仲良く談笑しているのか。ソシルにはそれがたまらなく不満で、屈辱だった。
いくら相手に命を握られているとはいえ、これではまるで都合の良い夜伽の相手のようだ。
だからか、意識するよりも先に懐に指が動いていた。たとえ死ぬことが分かっていても。
引き金が引かれ、銃声の音が食卓に響いた。続いて、椅子が倒れる音。
「くぅ……」
苦悶の声が零れる。
ソシルの放った銃弾は、カルアの脇腹を打ち抜いていた。
「う……そ……」
放ったソシルは呆然と呟き、銃を地面へと落としてしまう。
カルアは、撃たれた部分を押さえて、
「どうして……」
全くわけが分からないといった風に、ソシルを見る。
そんなこと、ソシルのほうこそ聞きたいくらいだった。何故目の前で苦悶の声を上げる吸血鬼は、あまりにも当たり前に撃たれているのか。
カルアは、どうして、ともう一度繰り返してから、そのまま倒れてしまった。
ソシルはどうしていいのか、さっぱり分からずに立ちつくしてしまう。ただ、二発目の銃弾をカルアに叩き込むということは何故か頭には思い浮かばなかった。なぜなら、今のカルアの、どうして、と言った顔があまりにも鮮明に焼き付いていてしまったから。
それから一時間後。
カルアは自室のベッドの上で、横になっている。寝息はすぅすぅと安らかなものだ。
結局ソシルは、彼を手当てすることを選んでしまった。自分でも何で助けたのかは、よく分からない。
手当自体は、止血してテーブルクロスをちぎって包帯代わりに巻いただけだ。貧乏性のソシルにしてみれば、このような高級な布を裂くということはためらってしまうが、この際は仕方ない。後で請求されても素知らぬ顔だ。後は、幸い弾丸は貫通していたので、弾を取り出さなくてはならないようなことはなかった。
一応吸血鬼なのか、それだけでカルアの様子は随分と落ち着いて、今では穏やかな寝息を上げている。
ソシルが、カルアの髪の毛をなでると、彼は目を開いた。
「……おはようございます」
カルアはそう言って、体を起こした。
「起きて平気なの?」
「うん。大丈夫」
カルアは歯を食いしばったがそう言う。ソシルは、そう、と頷くのみであった。
それからカルアはソシルの方を向き、目をまっすぐ見据える。
「どうして、僕を撃ったの?」
カルアは本心からその言葉を口にした。
「貴方を狩りにきた。私は最初にそう言ったわ」
ソシルは、はっきりと答える。
「どうして、私をすぐに殺さなかったの?」
色々聞きたい言葉があって、訳の分からないことばかりだけど、この言葉さえ聞ければ納得できる確信がソシルにはあった。
「うん。僕は撃たれるなんて思っていなかったから。だって。君が言ったとおり、僕は落ちこぼれの吸血鬼さ。もうすぐ爵位すらもはぎ取られそうな、ね」
「うん。そうだね」
そのくらいのことは、前に調べたので知っている。
「それに僕は人を襲わない吸血鬼だしね。だから、今まで襲われたことなんて一度もなかったから」
そもそも、吸血鬼をなんで狩るのかといえば、吸血鬼の持っている膨大な魔力を欲しってに他ならない。人は落ちこぼれの吸血鬼なんか襲っても何の特にもならないのが普通の話だ。
「……じゃあ。どうして、貴方は人を襲わないの。カルア=レイ=ルノアール伯爵? 母親に純粋な吸血鬼を持つ貴方なら、血を吸えば、伯爵という爵位に見合った力は得られるでしょう?」
「純粋な吸血鬼を母様に持つからだよ」
言葉の意味が分からずに、ソシルは何度か瞬きをしてしまう。
「純粋な吸血鬼だからこそ、人の血を飲まなくても耐えられるから。あなたは、吸血鬼の成り立ちを知ってる?」
「ええ、勿論」
吸血鬼には二種類いて、一種類は親に吸血鬼を持つ純粋な吸血鬼。もう一種類は、吸血鬼に血を吸われて吸血鬼になった者。この二種類だ。
「父様が人だから、僕は人の血を吸うことが出来ないんだ。だから、僕は落ちこぼれでいい。落ちこぼれがいい……」
やはりこの子は幼いのだ。考え方が。
「じゃあ、聞くけど純粋な吸血鬼は何で、血を吸わなくても生きていけるの?」
「……知らない」
「それはね。初めから膨大な魔力を持っているからよ」
吸血鬼の体は、そもそも魔力で構成されている。
そして、その魔力は生きるだけで消費され、自らの体内では生み出すことは敵わない。
ソシルは悲しげに、言葉を続ける。
「そして、魔力の尽きた吸血鬼はそのまま灰になり、消えてしまうの」
その言葉で、ソシルの言いたいことは全てカルアに伝わったようであった。
「うん。私も落ちこぼれの吸血鬼。人の血がなくては生きていけない脆弱な生き物よ」
「だから、僕を撃ったんだね」
「ええ。人から血を吸うことは出来ないの。だって、私は人でいたいから」
落ちこぼれの私では、落ちこぼれの貴方しか殺すことは出来ない。
ソシルはそう言って、銃をカルアに突きつけていた。
「フィードのために、私は"人"でいなくちゃならないの」
はらりと涙がこぼれた。
カルアは何も言わずに、ソシルを、そして銃口を見る。
それから、一発の銃声が響いた。
抵抗はなかった。
ただ、目線だけで全てを語られていた。
結局の所、吸血鬼の少年はただ、幼かっただけなのだ。
現実を知らないだけで。
もう少し時を重ねれば、嫌でも現実を知ったことだろう。
足りない魔力。
消え果てる恐怖。
そして、自分のような汚い大人のことを。
人を殺したくないからと言って、子供を殺している自分のような大人のことを。