学校三不思議

 

「この学校に伝わる、学校三不思議って知ってる?」
 赤い西日が差し込んでくる放課後の教室。すでに僕と隣の席に座る鈴しか残っていない。そんなことを尋ねてくる鈴のほうを見て、僕は首を傾げる。
「学校三不思議? なんだか随分少ないな。聞いたこともないし」
 普通は七不思議だ。何故七不思議かは僕の知るところではない。彼女は薄く笑っている。
「これでも多いほうよ。一個しかないところだってあるんだから」
「はあ……」
 神妙な顔をして言う彼女に、つられるように頷いてしまう。僕が中学生の時にはそんなものはなかったので、彼女が言ってることは間違いではないと思われる。
「それで、その三不思議が何なのさ?」
 何だか七不思議と違って言い辛い。ひょっとして七不思議が多い理由は、言いやすいからじゃないのかなどと頭の片隅で愚考してしまう。
「やっぱ不思議ってことは何か原因があるからじゃない。そこで首をつった人がいるとかさ」
 鈴は指を一本立てながら言う。
 だったら真夜中にベートーヴェンの目が動くというものは、一体誰が死んだというのだろうか。ベートーヴェンか?
「それに、学校に伝わる不思議を全部知ったら死ぬって、よく言うしね」
 どうやらこの学校では、不思議をたった三つ知っただけで死んでしまうらしい。何とも恐ろしい話だ。僕は密かに一つしか不思議がない学校を同情しておくことにした。
「それで?」
 何となくこの後の展開が読めてしまうが、とりあえず尋ねてしまうのが僕の悪い癖だ。
「不思議のことよ。私たちが解明すればイコールそれは不思議ではなくなり、全部知ったら死ぬっていう恐怖からみんなが開放されるわ」
 鈴は拳を握り、椅子の上に立ちながら、よく分からない持論を展開させる。自信たっぷりに言っている彼女には悪いが、その三つの謎を知った時点で僕たちが死ぬのではないのではないでしょうか。それ以前にこんな与太話、誰も信じていなければ、怖がってもいないと思われる。
 まあそんなこと、鈴にとってはどうでも良いことなのだろう。
 彼女にとって大事なことは、楽しいか楽しくないか、その違いだけである。どこか透明な雰囲気を持つ彼女は、そのミステリアスな雰囲気そのままにミステリー研究会に入っていたりするのだ。オカルト関係を好きになるのは、無理らしかぬことなのかもしれない。
「明も行くでしょ?」
「やめときなよ。見つかったら怒られるよ」
 ここで建設的な意見を提言すのが僕の役目である。
「あら、怖いの?」
 と、そんな僕を彼女は鼻で笑い飛ばす。
「いや、そうじゃないけど……」
「なら決まりね。じゃあ夜九時に学校の校門でね」
 こうなった鈴をとめることが不可能なのは重々承知のことだ。
 昔からこうなのだ。こういうオカルトごとや珍妙な事件などがおこればさかんに首を突っ込みたがる。
 嬉しそうに言う鈴を見ながら、僕はため息をつく。彼女にこんな話をした奴を密かに呪っておくことにしよう。


 そして夜九時。
 校門にて鈴が待っている。彼女は白いワンピース姿だ。肌の白い彼女が着ると、儚く見えてしまう。
「さ、行きましょ」
 彼女に促されて僕も後に続く。
 夜の校舎はさすがに不気味だ。いつも見慣れている、昼間の騒がしい校舎とのギャップのせいかもしれない。夏の夜に似合わぬ冷たい風が頬を撫で、鳥肌がたってしまう。
「ところで三不思議って具体的にどんなものなの?」
 気持ちを紛らわすために、彼女に話しかけてみる。
「えーと、音楽室のベートーヴェンの目が動くってやつと」
 やっぱりベートーヴェンですか。
「北校舎の奥の一階から二階をつなぐ階段の段が一段増えるってやつと、北校舎にある井戸の水が赤く染まるってやつ」
「鈴もう全部知ってるじゃん」
「…………」
 僕の突っ込みに彼女は一瞬沈黙してしまう。
「とりあえず確認よ!」
 気を取りなおして音楽室へと向かう。道中僕がいくら頭をひねってもベートーヴェンの目が動く理由は、残念ながら思いつかなかった。
 音楽室のドアを開くと、数々の偉人達が並ぶ中ベートーヴェンは端に、貼られていた。鈴は準備よく持ってきた懐中電灯で、ベートーヴェンを照らし出す。
「何か感じない?」
「いや、別に」
 残念ながらというか何というか、僕には霊感なんて高度な物は持っていない。
「ちょっと剥がしてみましょ」
 鈴は言うやいなや、棚に足をかけてベートーヴェンのポスターに手を伸ばす。
「骨でも出てきたらどうすんのさ?」
「その時はその時よ」
 僕の制止も聞かずに鈴は軽い調子でベートーヴェンを剥がす。
 そこには壁があるだけで、何もなかった。当然の話だ。
「残念ね」
 彼女は適当に戻して部屋を出ていった。
 適当に止められたためベートーヴェンのポスターは剥がれ落ちる。手に取ってみると、他のよりも新しい紙であることに僕は気がつく。
 ……そういえばこの間、ベートーヴェンの紙が紛失する事件がおこり、新しい物に変えられたのだ。鈴には悪いが、こんな新しい紙では怨念のつきようもないというものだ。
 僕は苦笑して、鈴の後を追った。


 音楽室を出て次は階段だ。そのくだんの階段は、音楽室から出てすぐの階段である。
 上から階段をおりる。階段の段数が増えるという怪談は、最後に人の体を踏み段が増えたように感じるという。
 トン……トン……。
 夜の校舎はとても静かで、一歩一歩の音がよく響く。
 トン……トン……グニャ。
 ……グニャ?
 僕はいつものリノリウムと違う感触に、そのまま制止してしまう。遅まきながら、今いる場所が薄気味悪い夜の校舎ということが頭をよぎっていく。
「ま、まさか……」
 おそるおそる下を向くと、濡れた黄色いモップを踏んづけていた。恐らく、掃除当番が片づけ忘れていたのだろう。
「…………」
「どうしたの?」
「いや、別に」
 そのまま固まってる僕を呆れるように見た後、鈴は念入りに階段を調べてみるが、どうたら何も見つからなかったようだ。
「次いこ」
 鈴は飽きてきたのか僕の方を見て、つまらなそうに呟いた。


 最後は井戸だ。今の階段を降りたところのすぐ左に、外への出口があり、そのすぐの場所にある。
 この井戸は確かにいわくつきである。昨年の学園祭の時に、ふざけた生徒が落ちて溺れて死んだのだ。それ以後近づくことを禁止されている。
 実際井戸に近づいてみると、長い間誰も触れていなかったために、こけやひび割れが酷くなっていた。井戸を閉じる蓋も同じように薄汚れている。
 二の足を踏む僕とは異なり、鈴はためらうことなく井戸の蓋を開いた。
 僕も恐る恐る近づき、中を覗き込んでみるが暗くてよく見えない。ぴちゃんと、井戸の底に水滴のうつ音が響いた。
「どう?」
「よく見えない」
 尋ねてくる鈴に、僕は首を横に振る。
「ちょっと私にも見せて」
 僕が体をおこして退く。鈴が懐中電灯片手に井戸を覗き込むと、目を鋭く細めた。
「そういえばさ。この三不思議ってやつは誰に聞いたの?」
 僕は気になっていたことを尋ねてみた。
 彼女は顔を井戸から顔を上げて、
「ベートーヴェンはね。生徒がナイフで切られたときに、散った血がかかったらしいわ」
「……え?」
「階段はね。傷をおった生徒が、突き落とされて死んだ場所らしいの」
 淡々と言う彼女に、僕は寒気を感じる。
「そ、そうなんだ。何だかリアルだね」
 僕はあははと笑ってみせる。鈴はそうね、と無表情に頷くだけだ。
 何故、そんなことを淡々と言えるのだろう?
「それで、この井戸にはね。その死んだ人が放り込まれたんだって」
 聞いてもいないことを、鈴は透明な声で歌うように語る。
 今気が付いた。
 二階の音楽室。音楽室を出てすぐの階段。階段を下りてすぐ隣にある井戸。
 この三つの場所はあまりにも近すぎる。確かに、鈴の言った一連の流れの辻褄はあっている。
「何でそんなことをしたのかって? さあねえ。鬱陶しかったんじゃないかしら」
「…………」
 僕は何かを言おうとしたが、口がぱくぱくと動いただけで何の音も発しない。
「だってね。殺した子はさ、いつも自分のすることに口出しをされるらしくてね。どうやら殺された子は、いつも文句をつけるばかりのくせに、勝手についてきては邪魔ばっかりするらしいのよ。最低と思わない?」
「一体、それは、誰の、こと」
 彼女は笑ってる。本当に楽しそうに笑ってる。月の光を浴びて、くすくすと。くすくすと。
「でもね。おかしいのよ」 
 そう言い、鈴は手に持った懐中電灯で井戸の中を照らした。
「ほら見て。赤く染まっているでしょ。とっても、赤くね」
 促されるまま僕は井戸を覗き込む。
 懐中電灯が井戸の底を照らし出す。井戸の底は赤く染まっている。そして、その中心には壊れた人形のように目を見開いた――――
 鈴は、僕の顔をのぞき込み。


「どうしてあなたがこっちにいるの?」