死んでも死にきれぬ

 

「おお、上村泰典よ。死んでしまうとは何事じゃ!」
 こんなことをいきなり言ってくるガンダルフみたいな見た目のじーさんを、俺は辟易した目で見る。
「いきなり何だよじーさん」
「いきなりではない! お主のほうこそ何なのじゃ全く。本当は死するべきではないくせに、こんなところにきおって」
 じーさんは嘆かわしいと言わんばかりに頭を抱えて言った。
「はあ?」
 死するべきではないとか一体何を言ってるんだ、このガンダルフ。
 そもそも、こんなところって言われても。
 何だか前後の記憶がさっぱりな俺は、きょろきょろと首を振って辺りの様子を窺ってみた。
 何か雲みたいにもこもこした場所に俺は立っている。じーさんは社長の机のような感じのすげえ豪華な物に腰掛けており、その後ろに、色とりどりの神社の鳥居みたいな門がいくつも並んでいる。不思議なことに扉があるわけでもないのに、門の奥は光が全く差し込んでいないかのように何も見えなかった。
 後ろを振り返ると、わらわらと人が一列に何処までも並んでおり、列の最後尾は見えもしない。しかも、並んでいる人たちはじーさんから子供、白人から黒人とまったく統一感がない。
「あーと、これ何の列?」
 ガンダルフのサイン会ではないだろうってことくらいしか、俺には分からなかった。
「このたわけが! この列は死者の列で、並んでおるのは死んだ人間のみじゃ」
「あ、なるほど」
 道理で並んでいる人たちに統一感がないわけだ。
 ようやく俺は、自分の置かれている立場が飲み込めてきた。
「てことは、俺って死んだの?」
 俺が尋ねると、じーさんは厳粛な顔をして首を横に振った。
「違う。お主はまだ死んでおらぬ。正確には死にかけなのじゃ」
「死にかけ?」
 死んでないのに、何で俺はここにいるんだ。
 そもそも俺、何で死にかけているんだ。
「うむ、お主は交通事故に巻き込まれてな。意識不明の重体で病院に運び込まれての、今の状態を分かりやすく言うと、今夜がヤマってところなのじゃ」
 まるで俺の考えを読み通したかのように答える、じーさん。
「でもまあ、お主は何とか助かる。だから、お主がここに来たのは間違いってことじゃ。とにかく、こんなとこに来んで、さっさと帰れ。向こうに行けば帰れる」
 じーさんは、しっしと犬でも追い払うかのように手を払う。
 なるほど、こんだけ人が並んでいるんだから間違いなんか相手にしている暇はないのだろう。
「ふーん」
 俺は少しだけ考えて、
「やだ」
 と、言った。
「何じゃと?」
 じーさんは俺の言葉に眉をしかめた。
「ねえ、じーさん。どうせだから俺このまま死ねない?」
「はあ。お主何を言っておるんじゃ?」
「いや、俺別にそんな助かりたくないし。そんな無理してまで生きていたくないかなって」
「いや、そんなこと言われてものう」
 じーさんは困ったようにあごひげを撫でつけている。
 ちょっと待っておれ、とじーさんは言って青色のファイルを取り出した。青色のファイルにはでかでかと困ったときマニュアルと書いてある。俺の中で、じーさんのガンダルフポイントが三下がった。
 別に俺は冗談でこんなことを言っているわけではない。ありきたりな言葉だけど、死ぬ理由はないけど、生きる理由もないっていうやつがある。俺は別に生きていても楽しいことはないし。けれども、それだけの理由で自殺なんて選択肢はさすがに選ぶことは難しい。死ぬっていうのは未知な物だし、何よりも痛そうだ。
 けれども、こんな状況になってしまった以上、このまま死んでしまったほうが楽なような気がしてくる。
「ふむ。別にこのまま天国に送ってやってもいいみたいなんじゃが、本当に良いのか?」
 俺は迷いなく頷く。
「本当にいいんじゃな」
 念を押すようにじーさんは確認をする。俺は力強く頷く。
「お主、友人に借りた"DVD"とか"ゲーム"がテーブルの上に置きっぱなしになっておるが、本当に良いんじゃな?」
「――!!!」
 じーさんの言葉をきっかけに、記憶の本流が押し寄せてくる。
 俺が友達に借りたDVDは……アダルトな内容だ。口には現すと自分の人権を失いかねないようなもの。ゲームはゲームでパソコンのいわゆる一八禁……これ以上は俺の口からは言えない。
 死んでしまえば生前のことなんか関係ないのかもしれない。しれないけれど、俺にだってプライドはある。
 遺族が身辺整理に来たときに、そんな物がどどーんとテーブルの上に置かれていたら――――想像すると本気で悲しくなってくる。
「やっぱり生きることにします」
 俺は背筋を伸ばして、条件反射的に答えた。



 そんなこんなで、病院のベッドの上で横になっていた俺は目を開いた。
「良かったー。目を覚ましたんだね、上村君」
 枕元には大学の研究室が一緒である、榎本美紀が座っていた。
「あれ、何で榎本がここに?」
 彼女のことはちょっといいなって思っているから、少しだけどきどきしながら俺は尋ねた。
「だって、私が研究室に呼び出したときに、事故に遭っちゃったから」
 そういや、彼女から頼まれ事があって、研究室にむかう途中に事故にあったんだっけ。基本的に誰が悪いわけでもなくて、俺が自分で起こしてしまった事故なわけだけど、榎本が責任を感じるのも無理はないか。自分が研究室に呼ばなければ、そんな事故は起こりもしなかったんだから。
「もう、助からないかと思ったよ。本当に良かった」
 ……まさか、アダルトDVDが原因で帰って参りました、とは夢にも思うまい。
 俺としては、あははと笑ってごまかすしかない。
 そこで、俺は彼女が手に持っている紙袋の存在に気がついた。
「あれ、それ」
 俺が尋ねると、
「あ、うん。これ、上村君の保険証とか、着替えとか色々……」
 ――ちょっと待て。
 何で保険証を榎本が持ってくるんだ。
 それはひょっとして……。
 ひょっとして。
 ひょっとしてー。
「上村君の携帯でご両親にも連絡いれたけど、来るまで時間がかかるからって。私が同じ研究室の生徒であることを説明したら、ご両親さんが来るまでのことは頼まれて、鍵を借りて、上村君の部屋に行ってから、物を……」
 榎本は顔を赤らめてから言った。そして、
「あ、テーブルの上に置いてあった物とか、全然触れてないから大丈夫だよ!」
 全然大丈夫じゃない、クリティカルで会心で痛恨なトドメの一撃が繰り出された。



 その日以降、俺は部屋の整理整頓を欠かしたことはない。
 そう。
 人はいつ不幸なことがあるかは分からないのだから……。