ポチ

 

 ひらひらと舞う桜の花びらの中で、私とたかくんは真っ白な子猫を見つけてしまった。
 一目ぼれといってもいいと思う。
 その殺人級の可愛さに、私は一発でノックアウトされてしまった。
「駄目です!」
 絶対飼いたいと思って、早速帰ってお願いしてみると、思いっきりお母さんに怒られた。
「どうして」
「あなたはこの間、金魚を殺したばっかでしょ」
「う」
 そうなのだ。
 つい先日、飼っていた金魚の最後の一匹が死んじゃったばかりだ。そのときも私が世話をするからとわめき回ってから買ってもらったから、お母さんの言葉は耳に痛かった。
「今回は大丈夫だから」
「駄目です。春休みの宿題もやれないような子に猫は飼えないわ」
「ひどい。宿題なんて関係ないじゃん!」
「いいえ、関係あるわよ。そんな責任感もないような子が育てられるはずがないわ!」
「じゃあ、宿題やったら飼ってもいいのね!」
「ええ、良いわよ!」
 まさに売り買いの言葉だ。
 騒ぐ私たちの後ろで、子猫を抱えて所在無さげに立っていたたかくんに、子猫を安全な場所においといてと指示し、早速宿題に取り掛かかった。
 ……今の子猫みたいに真っ白けな宿題。毎日書かないといけない日記すらもぺらっぺら。宿題は休みの終わりまでしないのが私の主義だ。圧倒的戦力の前にひるんでしまうが、冷ややかなお母さんの目線を受けて再び闘志が燃え上がった。
 がりがりがり。
 そして、今の私はまさしく机にかじりついている。
 こんなに勉強を頑張っているのは生まれて初めてだ。大好きなアニメや漫画だって我慢してるし、夜遅くまで頑張ってる。
 もう漢字ノートは一冊終わった。計算ドリルもあと少しだ。
「よく、頑張るわね」
 電話を片手に、感心するようにお母さんは言う。
「ポチのためだもん」
「ポチ?」
「あの猫の名前よ」
「……ポチ」
「何よ」
「ううん」
 会話をしながらも計算する手の動きは決して止めない。
 だって、空いた時間にミルクをあげに行ったとき、にゃーという声に力がなくなっていた。
 しかも、こういう子猫は拾い手がいなければ、ほけんじょというところに連れて行かれるとたかくんが言っていた。
 そこに連れて行かれた猫は殺されちゃうらしい。
 そんなの絶対許せない。
 たかくんの家だって飼えないし、友だちも全員駄目だった。だったら、私が頑張るしかないじゃないか。
「やった終わったー!」
 両手を思いっきりあげて、鉛筆を勢いよく放ってしまう。
「これで、ポチ飼っても良いんだよね」
 うん、という言葉を聞きしだい、今すぐ飛び出そうとする勢いで尋ねると、お母さんは困った顔をする。
「うちじゃ飼えないのよ。智樹が喘息なのは舞も知っているでしょ?」
「ひどい! だったら、何であんなこと言ったの!」
「舞がこんなに頑張るなんて思わなかったのよ」
「お母さんなんて大嫌い!」
「舞、待ちなさい」
 私は顔を真っ赤にして叫び、家を飛び出した。
 もういい!
 お母さんなんか関係ない。
 私がポチを世話するんだ。
 けれども、ポチがいた場所に私がたどり着いたとき、よれたダンボールと薄汚れた毛布を残してポチはどこにもいなかった。


 *


 お母さんが保健所に問い合わせたところ、ポチが連れて行かれたということはないみたいと言った。泣きながら言った。
 私はその意味が分からないほど子供じゃなかった。でも、理解できるほど大人でもなかった。
 だから私は、わんわんと泣くことしか出来なかった。
 あれから、私はまた捨て猫を拾った。ポチには似ても似つかない目つきの悪い真っ黒な子猫だ。名前はハチだ。
「しっかりと世話してあげるのよ」
 智樹に迷惑をかけないようにね、とお母さんは言った。
 たかくんとの学校からの帰り道、ポチの捨てられていた場所で私は立ち止まってしまった。
 桜の花びらも散ってしまい、ダンボールと毛布が片付けられてしまったら、本当にポチのいた痕跡は何もない。
 だけど、この場所には確かにいたのだ。真っ白でちっちゃな猫が。
 ハチはハチだ。ポチの代わりなんかじゃ決してない。
 だからポチのことを思い出すと、今だって泣きそうな気持ちになる。
 もう少し早く見つけてあげればとか、私が宿題さえ終わらせていたらとか後悔はいっぱいだ。
「舞ちゃん」
 たかくんが心配そうに尋ねてきたので、私は首を横に振った。
 私が背を向けるとにゃーという鳴き声が聞こえた。
 振り返ってみたけど、そこには猫の姿なんかなかった。
 でも、その声はポチのものの気がした。