初めて携帯電話を買ったときのことを覚えているでしょうか?
私は十年くらい前の高校生のときだった。そのときはとっても嬉しくて、友達にメールをいっぱい送っていたものだ。
だから、携帯電話を買ったばかりの母が浮かれる気持ちは分かるつもり。
けれど、母の友人で携帯電話を持っている人はいない。父にいたっては機械類がさっぱり駄目だ。
ということは、母がメールを送れる相手というのは私しかいないのだ。
おかげで、私の携帯は母からのメールの内容で埋め尽くされてしまっている。三日もすれば飽きるだろうと思っていたのだけど、一月たっても、一年たっても私のメールの着信音が鳴り止むことはなかった。
最初の頃はしっかりと返してあげていたけれど、段々と億劫になってくる。その内容が、まだ結婚しないの、と内容も同じようなものだから仕方ない。
特に、仕事の忙しいときなんかはなおさらだ。
この日、後輩のミスのために終電で帰れるかどうかぎりぎりの私に対して、
『今日はご飯何を食べましたか(^o^)』
なんて暢気なメールが送られてきた。いつもなら気にもならないのだけど、この日ばかりはイライラがたまりにたまっていたせいで、かちんときてしまった。
私は思わず母に電話をかけて、
「私は母さんみたいに暇じゃないんだから、どうでもいいメールばっかりしないで!」
と怒鳴ってからすぐに切った。
終電に揺られているときに、さすがに言い過ぎたかなと思い、「言い過ぎてごめんね」とメールを送った。ちょうど日付が変わった瞬間だった。
朝起きて携帯電話を見ると、何の着信もなかった。少しだけ寂しさを感じたけれど、日々の忙しさの喧騒に紛れすぐに消えてしまう。
それから、あれだけ送られてきていたメールがぱったりと止まってしまった。
一年くらいたち、仕事中に父から電話がかかってきた。珍しいな、と思いながら電話に出る。
そして、父の言葉を聞いたとき、受話器を取り落としそうになった。
来週、母が手術をするという。結構前から母の具合は悪かったようで、あるとき倒れてしまったらしい。それからたびたび体を崩しやすくなったようで、とうとう手術をすることになったのだ。
倒れた日を聞いて、私は蒼くなった。
メールを送ったとき、ちょうど零時をさしていたから覚えてる。その日は、私が母を叱りつけた日だった。
「どうして……早く教えてくれなかったの」
私に心配かけたくないと母が言っていたらしい。
「だから、絶対に連絡しないでと」
手術を前に、見かねた父が母に黙って連絡をくれたようだ。
――私の言葉のせいだ。
父の言葉に私は胸をえぐられる想いがした。
とにかく母の症状を聞き電話を切った。
休みを取ろうとしたら、手術当日までとれなかった。父には当日に行くと伝えておく。
仕事を終えて家へとたどり着き、ドアを閉めた瞬間、今まで我慢してものが急にあふれ出した。
「どうしよう。どうすればいいの」
私は携帯電話を取り出して、メールの履歴を探る。
けれども、一年前のメールなど残っているはずがない。私の携帯電話には、番号以外母の痕跡は一つも残っていない。
一年前は母の履歴しかないくらい、母のメールが私の携帯の中に溢れていたというのに。
私は母にメールを送った。二件、三件と。
すでに時計は深夜一時を回っている。当然、返信なんてあるはずがない。
鳴らない携帯電話を握り締め、私は一晩中泣いてしまった。
手術の日、病院へと向かうと、すでに母は手術着に着替えていた。私が来ることを知らなかった母は目を丸くする。
「さくちゃん、なんで知ってるの」
「……どうして、教えてくれなかったの?」
私は母のほうを満足に見れず、うつむいて尋ねる。
「もう、お父さんね。こんなのすぐに治るわよ。みんな心配しすぎなの」
「何言ってるの。私がどれだけ心配したか分かってるの? ひょっとしたらもう会えなかったかもしれないんだよ!」
ここが病室であることなんか関係なしの大声を張り上げ、傍に立っていた父にたしなめられる。
本当に、私は何を言っているんだろうか。自分から連絡するなとか言ったくせに、その上文句を言うなんて。こんな風に言うつもりなんてないのに。上手く言葉が出てこない。
自分がとても情けなくて、嫌な言葉がこれ以上出てこないよう私は唇をぐっと噛む。
すると、母はくすくすと声をあげて笑った。
「ありがとう。久しぶりにさくちゃんの顔見たら、元気出たわ」
だから大丈夫、と母は言った。
その言葉に、私はきょとんとした後、赤くなってしまう。
「時間ですので」
看護師が部屋へと入って来て母は車椅子へと乗せられる。歩けるのに変な気分ねえ、なんて母は言っている。
「母さん、その、言い過ぎてごめんね」
私はなんとか言うと、母は振り返り、にっこりと笑ってくれた。
手術が終わり一月ほど過ぎ、母の退院の日を無事迎えることが出来た。
そろそろ家に帰り着いただろうか?
仕事の最中だけど、メールを送ろうと思って携帯電話を取り出すとタイミングよく着信を告げた。
『やっと家に帰り着きましたー。さくちゃんは今お仕事中ですか(^o^)』
私はやれやれなんて呟きつつも、作成したメールの返信ボタンを押した。