カラン、コロン。
コミカルな音が響き、酒場のドアが勢いよく開かれた。
ボクはモップで床を磨くのを止めて、音のした入り口に目を向ける。
「ねえ、ねえレイブン。聞いた、聞いたー?」
ドアが開いた速度そのままに、威勢の良い声を張りあげる少女が、両手を腰に添えて仁王立ちしていた。
髪の毛は短く、大きな瞳には少女の活発性がにじみ出てくる。もっとも、活発性なんて可愛らしい言葉じゃなく、はた迷惑なと言った方が正しいのだけれども。
「遅かったじゃんマリア。一体どうしたっていうの?」
ボクは何だかもの凄く嫌な予感がしたけれど、マリアに尋ねてみた。
「なんかねえ。お城のお姫様が攫われちゃったんだってー。魔王にさ」
とんでもないことをマリアは嬉々として答える。
「……へえ。だから町では大騒ぎしてるんだ」
どうやら国の一大事らしい。
しかし、そんな一大事だというのに……目の前の少女は、とんでもなく嬉しそうに笑ってる。
「……マリア?」
「ふっふっふ。とうとうこの時が来たわ!」
マリアは握り拳を天に掲げて叫ぶ。
「あたしはいっつも、思っていたのよね。この国は平和すぎだって!」
マリアは平然と平和であることの非難をしだす。
そんな言葉でボクはマリアの"夢"とやらを思い出してしまった。
普通の女の子のように、貴族の王子様に迎えに来てもらえるような人畜無害なものならば良かった。だけれども、マリアの夢はそんな生ぬるいものじゃなくて国を救うヒーローになることだった。
しかし、彼女の夢を叶えるためには、ボク達の住んでいるローランドは平和すぎた。
起こる事件と言えば万引きくらいしかなく、そんなものを捕まえたところで、近所のおばちゃん達の人気者になれるのが関の山。
実際にマリアは三日間くらい、万屋の前にて寝ずに張り込んで万引き犯を捕まえてみたけれど、やっぱり近所のおばちゃんの人気者になっただけであった。
姫様が魔王に攫われたという、マリアからしたら待ちに待ったこのチャンス。
笑うなというのが無理な注文なんだろう。
とはいえ、
「まあ、ボク達には関係ない話だね。もう仕事始まってるし……」
ボクは出来る限り横を向いて、モップで床を磨く。ごしごしごし。ごしごしごし。
「おう、それなら知ってるぜ。姫さん確か北のデスマウンテンに連れて行かれちまったんだよな」
こちらの話を聞きつけたのか、カウンターに座っているおいちゃんがいらないことを口にする。
「ほう!」
その言葉に案の定、マリアは過度に反応してる。
「ああ。やつの魔力は無尽蔵だぜ」
「確かレッドドラゴンを飼ってるんだよなあ」
「おお、そうそう。あと、奴の部下は不死身らしいらしいぜ」
何てことをほざきながら、おいちゃん達は楽しそうにグラスを口に運んでる。
「上等じゃない。そうでなくちゃ面白くないわ」
マリアは目をきらきらと輝かせておいちゃん達の言葉に頷いている。もはや、行くことは決定事項らしい。
ふう。一度火のついてしまったマリアをボクには止める術はもはやない。ボクが出来ることは、せいぜい彼女の無事を祈るくらいだ。
えーと、エイジスの神様だったよね。こういうときに祈るの。マリア達と違って信心薄いボクはいつも忘れてしまう。
「じゃあ、マリア気を付けてね。エイジスの加護がありますように」
「ええ。任せて!」
マリアはそう返事をして、店の外に出て行く。
ボクの首根っこを掴んで――て、あれ。おかしいじゃん。何でボクがひっぱられてるのさ!
「ねえ、ちょっと、待てって! 何でボクひっぱられているんだ!」
「いざ行かん! 姫様を救出に」
駄目だ。この女、何も聞こえちゃいねえ。
「マ、マスター」
ボクは助けを求めるようにマスターを見る。
マスターはにっこりと笑って、
「へへ。遅くなる前に帰るんだぜ」
「……」
およそ無責任な言葉を発してくれた。
「ふ、レッドドラゴンか。相手にとって不足ないわね」
「不足は大ありだっていうの。ああー、もう!」
ボクは首の根っこを引っ張られて、酒場を後にする。
背中から、今夜は面白い話が聞けそうだぜっていう声が聞こえていた。
*
で、
「どうやら、ここのようね」
デスマウンテンの入り口にボクたちは着いていた。
目の前にはぱっくりと地割れでも起こしたようにして、洞窟の入り口が広がっている。
「三十分もしないでついてやんの……逃げる気あんのか」
それをいうなら、モップにエプロン姿のボクのほうがやる気はないのだろうけれど。
マリアはたいまつ片手に、洞窟の中に乗り込む。
「あー。なんか本格的になってきちゃったよ……」
「当然でしょ! まだまだ本番はこれからよ」
マリアは意気揚々と先陣を進む。
洞窟の中は暗く、ごつごつと岩が飛び出ていて歩きにくい。幸い道は広く、足場はしっかりしているので足下が崩れるといった心配はなさそうだ。けれども、道はよく折れ曲がっており、たいまつの明かりは届かずにすぐ先が見えなくなっている。
少し進むと、ワギャアという奇怪な叫び声が曲がり角の先から聞こえてきた。
「まさか、レッドドラゴン?」
そのまさかであった。
紅の翼に鋼鉄の皮膚。獲物を切り裂くための鋭いかぎ爪が鈍く光った。
レッドドラゴンはこの狭い洞窟には似合わない、ボク達の倍以上ある大きな巨体をボク達に見せつける。
赤色の眼球がぎろりと動き、僕たちを標的として睨み付けてきた。
しかし、
「チッチッチ……」
マリアが指を鳴らす。すると、レッドドラゴンはくーんとないて、大きな体を小さく丸め、首をマリアにすりつけてきた。
「……」
「こんなこともあろうかと、ドラゴン検定三級を取っていたのよ」
どんな検定だよ。
「そんな検定いつの間にとったのさ?」
「うん? 十歳の春くらいの時だったかなあ」
……あの時のことか。
ええ、しっかり覚えていますとも。
あたしは修行の旅に出るとか、何とか言って一月ほどの間、姿をくらましていたんだったっけ。結構大騒動になったから記憶に残ってる。まさか、ドラゴン検定なんて胡散臭い物(といっても、実際効果があったわけだが)を取りに行っていたとは夢にも思わなかったけど。
レッドドラゴンは、そのままマリアに見送られて何処かに行ってしまった。
これでいいのかはなはだ疑問だが、何はともあれ危機は去った。
それから、歩くこと数分。幾分か広くなった通路を抜けると、血のような濃い赤色で装飾のされた不気味な扉があった。
扉に触れてみると、ひんやりと冷たい。ちょっとだけ押してみるとぎし、と重く錆び付いた感触がした。
「ふふん。どうやらこの奥に魔王がいるようね」
マリアはためらうことなく、ばんと扉を勢いよく開いた。
何かの祭壇の間なのか、そこにはドクロの仮面をかぶった黒マントが、床に描かれた五芒星の魔法陣をはさんで立っていた。
――間違いない。奴が魔王だ。
魔王は両手を広げて、
「ダグド・ギババ。クウ……」
怪しげな呪文を唱えていた。
その言葉に連動するように、魔法陣が白く光る。
しまった!
魔王得意の前口上がないのか。
ボクは慌てて、物陰に隠れようとする。
しかし、魔王の呪文の詠唱が終わるよりも先に、マリアは宙を飛んでいた。
「はあ!」
拳を繰り出すマリア。
狼狽する魔王。
マリアの反撃は魔王も予想外だったのか。あるいは、呪文の詠唱が追いつかないのか。
どちらにせよ魔王は、反撃することもなくマリアのパンチをまともに喰らい、きりもみしながらぶっ飛んでいった。
そして、べちゃっと倒れた。
そのまま、ぴくぴくと痙攣しており、立ち上がってくる気配は全く感じられない。
「…………」
「ねえ、マリア」
ボクはマリアの様子を伺ってみる。
彼女の目は語ってた。
弱い。弱すぎると。
これじゃあ、街道の隅のほうを徘徊して悪さをしているゴブリンと同じくらいの弱さだ。
「そうか」
マリアはぽんと手を叩くと、つかつかと倒れている魔王(?)に近づいて、その胸ぐらを掴みあげる。
「本物はどこ?」
こんな弱いのが本物のはずがない。
どうやらマリアはそう結論づけたようだった。
「な……なんのことですか」
魔王(?)は困惑しきった声を上げる。
何が起こっているのか、さっぱり理解できていないって感じに思えるのだけど。
「とぼけないで。まあいいわ。じゃあ、姫様はどこにいるのよ!」
「は、はい。姫様なら、すぐそこですけれど……」
魔王は自分の背中のほうを指さす。
そこには、姫様が舞台に控えていたようにちょこんと立っていた。
綺麗な栗色の長い髪に、控えめだが美しいドレス。だけど、足場の悪いところを通ってきたためか、ドレスの裾のあたりが汚れていた。それでも尚、そこに立っているだけで気品のようなものを感じさせられる。
こっちは間違いなく本物だ。以前年に一度開かれる祭の時、城のバルコニーに立っているのを見たことがある。
「姫様。救出に参りました」
マリアは膝をついて、姫様の手の甲に口づけをした。騎士よろしくのポーズだ。
「あ……ありがとうございますわ……」
姫様は狼狽しながらも、ドレスの端を持ち上げ頭を下げて、きちんと礼を言う。
さすがは、姫様。どんなときでも優雅さは忘れない。
マリアは立ち上がり、ふんぞり返らんばかりに胸をはっていた。
ないくせに、無理しちゃ――
「何?」
「申し訳ありませぬ。ボクは何も思っておりませぬ」
ボクは電光石火で頭を下げる。
「でも、胸はないんだから、あんまり強調するような真似はしないほうがいいと思うよ」
すぱーん、と頭をひっぱたかれた。
ボク達がそんな漫才をしている間にやっと立ち直ったのか、魔王(?)は頭をさすりながら立ち上がっていた。
「き、君たちは一体何なんだ?」
「当然、姫様を救出に来たのよ!!」
マリアは勢いよく言い返す。
魔王(?)と姫様は顔を見合わして、
「いや、わたくしは別に連れ去られた訳じゃありませんのよ」
と、姫様はマリアの気持ちを落ち着けるためか落ち着いた声で言う。
「まさか、姫様が魔王に恋をしたんなんていう……」
そんなべたべたなオチだったらボクは嫌だなあ、なんて思いながら呟いた。
「というか、あなた。何者なの?」
マリアはびしっと魔王(?)を指さす。
「わ、私は城の神官ですよ」
予想だにしない返答に、マリアは唖然とする。
「嘘おっしゃい! そんな怪しげな格好で弱っちいくせに」
……弱っちいのは、神官しているのとは別に関係ないよね。
突っ込みを入れていたら一向に話が進みそうにないため、ボクは黙っておいた。
「姫様の婚礼の儀式のために、破魔の儀式をしていたのです。この格好は魔を払うためにも必要なんですよ」
「あ、あのレッドドラゴンは?」
「レッドドラゴン? ああ、野良じゃないですか。最近この洞窟でよく出るって話みたいですし。あ、でも人を襲うような凶暴なものではないようですけどね」
「えーと……」
*
マスターが看板を外に出すと、町はにぎわいを増していた。
それは、明日姫様が隣の国の王子様と結婚式があるからだ。
王様が、攫われたーやら、取られたーなんて大騒ぎするもんだから、紛らわしい。王様の姫様への溺愛ぶりは困ったものである。
「さーて、いつ帰ってくるかねえ」
マスターはグラスを磨きながら、お客さんのほうを見る。
けたけたという笑い声。開店前の昼間だというのに、すでに出来上がっているようだ。
酔っぱらいの言うことなんて、真に受けるべからず。