「あ」
くすんだ灰が床の上に落ちて、僕は我に返った。絨毯がこげないように、慌てて拭く。
ぼんやりとしている間に、随分と時間が過ぎていたようだ。
部屋の中はむせるほどの煙が沈殿している。
部屋の空気を入れ換えようと、タバコの箱とライターを掴んで立ち上がった。
戸を開きベランダへと出て、新たなタバコをくわえる。
ふう、と紫煙を吐き出して、眼下を見る。歩道に並んで咲く桜はすでに満開を迎えてた。
そう言えば、今日は何日だったか。
仕事を辞めてしまってからというもの、どうにも日付感覚が曖昧になってしまっている。
ともすれば、仕事を辞めたのがいつだったかすら、忘れかねない。
空を見上げると、日はすっかりと登りきっていた。まぶしすぎるその輝きに、僕は思わず手でその光を遮ってしまう。
無為に時を過ごしているだけにもかかわらず、空腹は感じた。
半分ほど吸ったタバコを、ビールの缶へと押しつけて消し、部屋の中へと戻る。あいにくと、昨晩食べたカップ麺が最後だったようだ。冷蔵庫を開いても、食べ物はおろか、ビールすら入っていない。
空腹をごまかすために、タバコを吸おうとするも、これもまた生憎と最後の一本だったようだ。
こんなことなら、もっと大事に吸えば良かったな等とみみっちいことを思いながら、ぐしゃっとタバコの箱を握りつぶしゴミ箱へと放った。
仕方がない。重い腰を上げ、皺の入ったコートを羽織り、くたびれたスニーカーをはく。
家を出るのは何日ぶりだろうか。
そんなことを思うほど、部屋の外に出るのは久しぶりだった。
食べ物を買うだけなら、目の前にあるコンビニでも事足りるけど、外に出ると何故だか空腹は収まっていくのを感じた。
これも、春の陽気のせいなのだろうか。
けれども、日差しは温かいけれど、空気はまだしんと冷えている。日の当たらないところを歩くと、まだまだ肌寒い。
僕はコンビニには寄らず、タバコだけ自販機で買いそのまま駅へと向かう。
それから、路線も見ずに、電車へと乗った。
電車は空いており、入り口の近くの席に僕は座る。
ふと、昔のことを思い出してしまい、苦笑してしまう。一人で電車に乗るのが大事だなんて思っていたのが随分と懐かしい。
がたんがたんと揺れる、電車の音に耳を傾けていると、鬱屈とした思いが胸の内からこぼれてくる。
僕は一体なにをしているのだろうか?
こんな漂白の時間をいつまで過ごせば気が済むのだろうか。電車の窓から流れる景色はまるで歩んできた人生を思わせる。
そして、あの日のことを思い返させる。
あの日、あの時、あの人に会った時、僕たちは離れていても、確かに繋がっているのだと感じた。
だからこそ僕はあの人のために頑張りたい。あの人を守れるくらいの力が欲しいと思えたのだ。そして、彼女も僕を好きと言ってくれた。それなのに……。
僕にはまるで分からない。思い合っているだけではだめなのか。
距離のせいに出来ればどれほど良かっただろう。そのせいならば、まだ理解することが出来るのに。離ればなれになった自分たちを哀れむことも出来ず、あの人の元へと駆けつける勇気がなかった自分を責めて後悔出来るのに。
僕たちを遮ったのは、輪郭のない雲に似た曖昧な物だ。それは、距離に関係なく、どれだけ近づいたとしても、存在してるもの。たとえ、近くにいたとしても、その曖昧な物を払拭することはかなわない。
僕は先日のことを思い出して、唇を噛みしめた。距離さえなければ、その溝は埋めれるとばかり思っていた。相手を思い続ければ、心なんて詰められるはずだった。だけど、無理だった。いくら、言葉を伝えても、メールを交わしても繋がることはない。
僕の身勝手な気持ちで、僕に好意を持ってくれた人を傷つけた。
結局は高校の時と何もかわらない。あの時も、僕に好意を向けてくれる子を傷つけたくなくて、だけどやっぱり傷つけて。思いが叶わないのは、とても苦しい。だから、気づかないふりをして、想いが枯れるのをずっと待った。
馬鹿だよな。
自分が出来もしないことを強要するなんてさ。
だけど、僕にはどうしようもなかった。僕が何をしようが、彼女を絶対に傷つけてしまっていただろう。それに、彼女にまで僕と同じ思いなんてして欲しくはなかった。
僕は一体どうすれば良いのだろうか。袂をわかった、あの人は、今何をしているのだろうか?
適当に電車を乗り継いで、名も知らない駅で、僕は降りた。ホームを出ると、まず桜の花びらが舞っているのが目に映る。開発に取り残されてしまった、よく言えば田舎のような雰囲気を持つ景色が広がっていた。そこは決して来たことはないのだけど、昔住んでいた場所を思わせて、どこか懐かしい気がする。
僕は、かんかんかんという踏切の音に誘われて僕は歩きだす。
……こんな、偶然があるのだろうか。
踏切の向こうに、あの人の姿が見えた。
いつも、捜していたその姿を見間違えるはずがない。夢を見ているのだろうか、いや、それは違う。この感覚は逆に夢から醒めたばかりのようだ。
声を張り上げたかった。僕がどれだけ君のことを思っているか、思い続けているのか、決して伝えきれる物じゃないにしても、今すぐに伝えたかった。
だけど、言葉は喉までせり上がっているのに、何も出てこなかった。
そのまま、何事もなく僕たちは通りすがる。君は僕のことに気づいているのだろうか?
僕が振り返れば、君はきっと振り返ってくれるだろう。
そんな確信だけを胸に秘め、僕たちはすれ違った。
かんかんと鳴り続ける踏切を渡り終えて、僕は振り返った。ちょうど、僕らをわかつように、電車が通る。
がたんがたんがたんがたん。
電車が通り過ぎるまで僕はずっと今来た道を見続ける。電車が通り過ぎると、すでにあの人の姿はそこになかった。
けれど、僕は悲しくはなかった。
ただただ、あの人の姿が見られて嬉しかった。
通りすがり、一瞬だけしか見られなかったけど、あの人の背はまっすぐに伸びていた。昔のあの人からは、想像しがたい。だけど、きっと良い道を歩んできたのだろう。
そう思うと、嬉しくてたまらなかった。
同時に、僕自身も救われた気がした。
今まで僕はきっと、あの人を好きだったのかどうか、わからなくなっていたんだろう。
嫌いになるのが悪いと思い、あの人を好きでなくてはならないと思おうとしてたのだ。倫理に捕らわれて、そんな風に自分自身のことなのにわからなくなって、それでもどうしようもなくて。
でも、あの人の幸せそうな姿を見て、そんな鬱然としたものは全て吹き飛んでしまった。
あの人を幸せに出来たのは僕じゃないけれど、その姿が純粋に嬉しい。
あの人を好きだったという思いは、嘘じゃない。
あの人を好きになって良かった。
ようやく、そう思うことができ、子供だった自分に感謝することが出来た。
気づけば、桜の花びらが肩の上に積もるようにのっていた。随分と長い時間、見続けていたようだ。僕は苦笑してそれを払い、駅へと足を向けた。
普段はあとがきなんて書かないのですけど、二次小説を書くのは初めてですので、一応謝っておきますです。
原作ファンの方もしも、何かが間違って読まれてしまったら申し訳ございません。
あの映画から、何をどうよみ間違ったらこんな主人公とあかりの心理になるのか僕にもよく分かりませんです。
ただ、こんなだったらいいなあとか、思ってしまったので書いてしまいました。