「これはもう一種の嫌がらせよね!」
 マリアは不機嫌なのを隠そうともせずに、ばしばしとテーブルを叩きながら、愚痴をこねる。テーブルの上に置かれたコップの紅茶の液面が波打つ。
 今いるのはテーブルとベッドしかない質素堅実なボクの部屋。
 この間買ったばかりのテーブルの心配をしながら、マリアの言葉に、ボクは黙って頷くだけだ。
 熱い思いを込めて、魂を込めておばあちゃんに語っていたのを思い出すと涙が出てくるとの弁。
「ちょっと、レイブン。ちゃんと聞いてるの!」
「聞いてるよー」
 ボクが投げやりに答えると、マリアはむーと頬を膨らませる。
「て、あんたは何を見てるのよ」
「んー。アルバイトの募集」
 ボクはマリアを見もせずに、求人票を見ている。
 今月は出費が多かったので(着ぐるみの時に貰ったお金は、マリアが勢いで壊したテーブルの換えを買ったときに紛失)、酒場のアルバイトだけではお金が足りず、他にアルバイトをしないとやっていけないのだ。
「そんなことしてる場合じゃないでしょ!」
「そうだねえ」
 ボクが自分の部屋で何をしていようと勝手なはずなんだけどね。
 ボクは紅茶を口に運ぶ。香りの高さ。苦すぎず、かといって味が薄いわけでもない。うーん、実に美味い。
 この紅茶をがさつなマリアがいれたというのだから驚きだ。紅茶に限らず、料理全般にわたってマリアが作った物は美味しい。曰く、適当に思った食材を、適当な分量で、適当に混ぜて、適当に料理したら出来るとのこと。世の中の料理好き全てに喧嘩を売っているくらい適当だ。どうして、そんなに適当なのにこんな美味しい物が出来るのだろうか。世界三大不思議の一つに認定してもいいと思う。
 ボクに相手にされないのが不満なのか、マリアは僕の手から求人票をふんだくった。
「あ……」
「どれどれ」
 求人票に目を落とすマリアの目が大きく見開かれる。
『魔物退治人員募集』
 中央にでかでかと、書かれてある。
 ボクは大きくため息をつく。だから、見せたくなかったのだ。
「落ち着け。落ち着くのよ、マリア。二度も三度も同じ過ちをおかすのは、馬鹿のする事だけど、あたしは馬鹿じゃないからね」
 マリアは大げさに、深呼吸を繰り返す。
 それから、ゆっくりと目を見開いてその記事をもう一度見返した。
「ちゃんと書いているわね……」
 どうやら、確認の方は終えたようである。確かにボクの見た感じも、この間のようなアルバイトではなく、れっきとした魔物退治だ。
 マリアはじっくりと腕を組んで考えているようだ。
 ちなみに内容は、ローランドの西にある村、コーンランドに魔物が襲撃。食料を奪っていくとのことである。魔物の詳細は不明。まだ、そこまでの被害は出ていないし、何よりも姫様の結婚式に気を使われただろう。城からの兵士もまだ派遣されている話も聞かないし、ここまで噂が届いていないのだ。
「ふむ。これに行ってみるわ。三度目の正直って昔からよく言うしね」
「二度あることは三度あるっていう言葉は知ってる?」
 マリアのもの凄い手刀が、ボクの首筋に叩き込まれた。


 *


 コーンランドは鉱石の採掘が盛んだった村だ。しかし、最近では鉱石はあまり取れなくなり、代わりに村を支える事業を探している状態である。その名残か、今でも村全体の雰囲気はすすっぽくて寂れている。
「うーんと。ここで、間違いはないようね……」
「うん」
 ボク達がやって来たのは村の駐在所だ。
 僕たちが木のドアを押して中にはいると中は薄暗く、村の雰囲気と一緒で随分と寂れている。
「誰だい?」
 寂れた景色と一体化していたくたびれた雰囲気の保安官は、机の上に広げていた紙面から顔を上げてボク達を見る。
「あのー、あたし達、魔物を退治に来たんですけど」
 マリアはそう言い、先程の求人票を保安官に見せた。
「お嬢ちゃんが?」
 保安官は身を乗り出してマリアの顔をのぞき込む。すると保安官は突然、腹を抱えて笑い出した。
「何がおかしいのよ」
 マリアは不満そうな顔を隠そうともせず、保安官にくってかかる。
「いや、すまんね」
 保安官は少しも悪びれた様子もなく、悪かったねと謝る。
「けれども、お嬢ちゃんのような子に倒せる相手なら、苦労しないし、そんな募集もしたりはしないよ」
「それはそうかもしれません。けれども、その情報だけでも教えてはいただけないでしょうか?」
 マリアは一応頭が冷えたのか、丁寧に尋ねる。
 保安官は、親指をたてて自分の背後を指さして、
「そっちの病院に入院してる奴らに聞きな。そしたら、考えも変わるだろ」
 保安官は再び紙面を広げて、手をひらひらと振った。
「ありがとうございます」
 それでもマリアは頭を下げて、駐在所を出て行く。ボクも慌てて、彼女の後に続いた。
「全く腹立たしいわ。あの保安官!」
 案の定、駐在所を出た瞬間、マリアは大声でわめきながら地団駄を踏む。
「まあ、悪気があったわけじゃないだろうし、それだけ今回の件が危ないってことじゃないの?」
 ボクがまあまあとなだめると、
「それは、確かにね。冷静にかからないと危ないヤマなのかもしれないわ」
 マリアは我に返ったように頷く。
 とにかくも、この間のようなジョークではなさそうだ。
「とりあえず、病院に行ってみるわよ」
 マリアはエイエイオーてな感じに手を天に掲げながら、元気よく足を進める。そんなマリアを見て、ボクはくすりと笑ってしまう。この変わり身の速さはボクにはとても真似出来ないせいか、何とも見ていて微笑ましい。
 保安官の指さした方へと少し歩くと、白色の外装をした建物が見えてきた。恐らくあれが病院なのだろう。
 病院の中には、包帯ぐるぐる巻きの人や、ベッドの上に縛り付けられている人達で溢れていた。そんな病院内を、ぱたぱたと忙しそうにシスターさんが駆け回っている。
 とりあえずボク達は、患者さんに近づいてみる。その中で、頭に包帯を巻いている男の人に話しかけてみた。
「ねえねえ。ちょっと話を聞きたいんですけど、最近ここら辺に現れたっていう化け物についてなんですけど……」
 マリアの口から化け物という言葉が出た瞬間、その男の人は誰が見ても分かるほど顔を青ざめさせた。
「ひ……ひぃ。思い出させないでくれ……や、やつのことなんて、思い出すだけで身の凍える思いだ」
 男の人は頭を抱えて、がくがくと震え出してシーツにくるまってしまった。
 マリアは眉根を寄せて尋ねてみる。
「ん。そんなに凄いやつだったの?」
「凄いなんてもんじゃねえ! あ、あいつは本当の化け物だ。やつの大きく見開かれた紅蓮の目。何重にも重なった漆黒の翼。甲殻虫を彷彿させるような……」
 男の人は頭を振り乱しながら言った。
 一応、病院にいる人全員に話を聞いてみるが、似たり寄ったりの情報しか得られなかった。
 食料を奪っていくという以外に新しく得られた情報は、化け物の見た目と根城にしている場所だ。
 根城が分かったのは大きい。けれども、根城が分かっているのに手を出さないでいるということは、うかつには手を出せないということだ。それは、病院の怪我人の数を見ても分かることである。近いうちに、正式にローランドの騎士団に討伐の依頼がいくかもしれない。
「……どうやら、そうとうやばい相手のようね」
 マリアは上唇を舐めながら、そんなことを言う。
 ……いや、そんな風に思っているようには少しも見えないんですけど。
「さって、さっさと行くわよ」
「て! そんな危ない相手に何の準備もしないでいくの?」
 ボクは慌ててマリアを押しとどめる。どうせ言っても聞かないだろうことは分かっているが、何の準備もしないのはさすがに危険すぎる。
 ボクの言葉に、マリアはわかってないなあって感じに肩をすくめてみせた。
「こういう時は、あんまり準備しすぎても、かえって重しになるだけよ。それに武器なんかも、自分の使い慣れた物じゃないと意味がないわ」
 マリアは腰にささったいるトンファーをぽんぽんと叩きながら、もっともらしく解説する。
 付き添いのボクとしては、まあ、頷くしかなかった。


 *


「情報によると、奴は単独犯らしいね」
「ふーん、それじゃあ、化け物のところにつくまでは安全って考えても大丈夫そうね」
「いや、でもまあ自然の洞窟だから、気をつけないと」
 そんな会話をしながら、ボク達は化け物が根城にしているという洞窟の中を歩いている。
 洞窟の中は、デスマウンテンの洞窟よりもさらに道は狭い。角張った岩がぼこぼこと飛び出している上に、地下水脈でも流れているのか地面が濡れている。水分をたっぷりと含んでぬめぬめとしているこけが生えていてとても滑りやすい。
 ボクの横をコウモリがばさばさと羽ばたいていった。今のは吸血コウモリだ。
「……本当、気をつけないとね」
 下手をすれば化け物にあう前から、大怪我をしかねない。
 それだけは十分に気をつけないと。
 そうして、少し進んでいくと、ゆらりと揺らめく黒い影が見えた気がした。
 ……違う。ボクが目をこらすとそこには、化け物がこちらに歩いてきていた。
「誰だ……」
 腹の底に響くうなり声のような低音だ。
 化け物もこちらのことに気がついたのか、ボク達を睨み付けてくる。
 でかい。身長はゆうに二メートルを超えているんじゃなかろうか。
 そして、情報通りの大きく見開かれた紅蓮の瞳。口から零れる牙も紅い。まるで、今し方獲物を喰らったかのようだ。そして、何重にも重なった漆黒の翼。その身は人と同じような形をしており、とげとげの黒い突起物が体中を覆っている。
「村から、とっていった物を返してもらいに来たわ!!」
 化け物の容姿に臆することなく、マリアはびしっと化け物にトンファーを突きつける。
 何となく、この間のような過ちを繰り返させないために、さぐりを入れているような気がするのは気のせいだろうか。まあ、慎重になるのはいいことだ。
「くっくっく。あの村に、まだ我に逆らうような愚か者がいようとはな」
 化け物は笑いながら、腰にさしてある僕の身長くらいありそうな、もの凄く大きなナタを手に取った。そして、そのナタを片手で二度、三度と軽々しく振り回す。
「かかってくるがいい。人間よ」
 化け物は漆黒の翼を広げ、低い体勢で大ナタを構える。
 マリアも化け物から目を離すことなく、構えを取る。ボクは邪魔にならないように隅で応援の構えをとった。
 あの大きさのナタだ。一度ふり終えたら、そのナタが返ってくるまで、ほんの少しでも時間が出来るはず。
 マリアもそう思ったのか、ためらうことなく一足で化け物の間合いに踏み込む。
「邪ぁぁあ!」
 化け物は洞窟全体を振動させる咆吼をあげながら、ナタを水平に薙ぎ払う。マリアはしゃがみ間一髪でそれを避ける。
 そして、そのまま踏み込もうとするも、マリアの動きよりも尚速く、化け物の返しのナタが襲いかかる。
「く――」
 マリアはとっさにバク転をして避けて、化け物との距離を取り直した。
「ふ。やるではないか。次からは本気でいくぞ」
 化け物は感心するように言った後、腰にさしてあったもう一本の大ナタも手に取った。
「そんな」
 マリアは愕然としたような声を上げる……無理もない。あの一本ですら相当の重量のはず。そんなものを二本も――
 化け物は再び咆吼をあげ、二本のナタを大きく振りかぶってマリアへと突っ込む。
 マリアは冷や汗を額に浮かべながらも、化け物を睨み付ける。
 狂ったようにふるわれる大ナタ。マリアは防戦一方で、反撃することが出来ない。
「ど、どうしよう……」
 マリアのような運動神経を持たないうえ、魔法も使えないボクは、遠くからその様子を見ている以外どうすることも出来ない。
 とりあえず、自分でも何か出来ることはないかを考えて、地面に転がっている石なんかを拾ったりしてみたりする。さらには、こんなのでも少しは援護になるかもしれないと、投げつけたりしてみた。当然、マリアに当たるかもなんてことは失念していたけれど。
 しかし、その石は奇跡的に化け物の後頭部へと当たった。放物線上を描いたその石は、こつんと何とも弱々しい音をたてる。
「……い、痛いー」
 化け物は持っていたナタをぽすんと落として、頭を抱え思いっきり痛がる。
 ……ぽすん?
 ……あれ? 何だか、ナタの大きさの割には落とした音が妙に小さいんですけど。
 蹲っている化け物を放っておいて、マリアは無言のままその大ナタを拾う。
「……めっちゃ軽い」
 マリアはすんごい目をつり上げて、化け物のほうを見る。
「何これ?」
「いや、その……」
 化け物は照れくさそうに頭を掻いた後、
「すんません。俺、実は見た目だけなんです。てへ♪」
「てへ。じゃねえ!」
 マリアのドラゴンをも殺しそうな勢いのアッパーをくらって、化け物は吹っ飛んでいった。


 *


 マリアは辛抱強く、化け物が起きるまで待ってから話を聞くと、
「いやあ、俺ってこんな見た目をしている割に、めちゃくちゃ弱いんすよ。ほら、腕なんて毛がいっぱい生えているだけで、こんなに細いし」
 言われてみると、何ともひょろひょろの腕である。黒い突起物に見えたのは、全部柔らかい毛だったようだ。触らせて貰うと、思った以上にふにゃふにゃとしており、触り心地が良かった。
「正直、この見た目でも利用しないと、やってらんないんすよね。こんな見た目で、あんな大きいナタを振り回すだけでみんな逃げていくから」
「……」
 真相はこういうことだ。
 あの化け物はただの雑魚キャラの分際で、その強そうな見た目だけで住民を脅していたらしい。怪我人達は化け物の振り回す大ナタに恐れをなして、慌てて逃げるときに転んで怪我したもののようだ。その倒れたところにコウモリやら蛇やらに襲われたのだろう。
 なるほど。見た目が怖くて闘いもせずに逃げ出したあげく勝手に怪我をしたなんて、大の大人が言えるはずもない。
「……いいの、マリア? 一応化け物は倒したのに、お金を貰わなくて?」
 ローランドへ帰る途中、僕はマリアに尋ねてみる。
 結局、マリアは村から奪われた金品類だけ取り返して、化け物のことは許してやってしまった。
「あたしは弱い者いじめをして、有名になりたいわけじゃないのよ! そんな物を貰ったらエイジスに悪いわ」
 ずんずんとローランドへの帰り道を歩いていく、ご立腹のマリアを見て、
「お金、マネー」
 ボクは未練がましく呟きながら、がっくりと肩を落とした。

      

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