「もう。絶対完璧大いに間違っているわ」
マリアはこれ以上強調しようがないくらい、その言葉を強調しながら不平をぶちまけていた。
「うん。間違ってるね」
ボクは床を磨く手を止めないまま、一応頷いておく。
酒場の狭い店内で、やる気のないボクに構うことなく、マリアは手に持ったモップを振り回しながら、わめき散らす。水が飛ぶから止めて欲しい。
「魔王の捨てぜりふって大体、『世の中に光りがある限り、絶対に闇は滅びることはない。光あるところには必ず影は存在するのだから。がっはっはー』みたいなことを言ってから死ぬじゃない」
「魔王がそんなことを言って死ぬって、一体誰が言ったのさ」
ボクはテーブルを拭く手を止めてマリアを見る。
「伝説の勇者自伝録67ページの五行目よ」
マリアは胸を張って答える。
ボクはどうしてそう胡散臭いものにだけ詳しいんだろうって思ったが、決して口に出すことだすことはなかった。マリアのチョップはもの凄く痛いのだ。出来る限り喰らいたくはない。
「それだったら、いつでも常に、魔王がどこかにいるってことじゃない!」
力説するマリアには悪いのだが、もしマリアの言葉通りだったら、勇者がどれだけがんばって魔王を倒しても、全く無駄ってことになるような気がしないでもない。まあ、マリアの言いたいことがわからないわけではないのだけどね。
「そうだねえ。どっかにいるかもねえ」
おかげでボクはお茶を濁すような返事しか出来ない。
「そうよ、全く。何で魔王はいるくせに隠れているのかしら?」
「何でだろうねえ」
「は、隠れる!」
言っている最中に、マリアは何かに気がついたのかはっと目を丸くし、考え込みはじめる。
「そうか。そうよね。うん、間違いない!」
そして、もの凄い勢いで笑いはじめた。何というか、究極の結論にでも達したかのような勢いすら感じられる。そして、そのボクの直感はおおむね当たっていたわけでありまして。
「レイブン! あたし、ちょっと出かけてくる。多分三日後くらいには帰ってくるからマスターにはそう言っておいて」
「え? ちょっと、マリア?」
ボクが制止するまもなく、マリアは一目散に店を出て行った。
「……今日から、バイトは一人でしろってことですね」
ボクはぼそっと呟く。
ボクの頭の中はバイトとお金のことしかなかったため、彼女が何をしようとしているかを考えてはいなかった。そのため、この時、制止していれば良かったと、この後とっても後悔することになる。
*
それから、三日後。
「で、マリア? 三日もどこに行ってたのさ?」
「んー、えへへー。いやいや、ちょっとねー」
言葉通り三日後に帰ってきたマリアは、妙な含み笑いをするだけで何も教えてくれなかった。
……怪しい。いや、怪しいなんて言葉は生ぬるい。胡散臭いというか、危ないとかそういった言葉のほうがしっくりくる。
ああ、何だか背筋に薄ら寒いものを感じるのは、出来れば勘違いであってほしい。こういう時だけは、エイジスに祈りたくなる。無意味だろうけどね。
すると、何だか建物が倒壊する音が、酒場の店内にまで響いてきた。
「な、何だ一体」
一体何事かと、ボクは慌てて店の外に飛び出す。
すると、町の中央のほうで煙が上がっており、地面が水浸しになっているのが見えた。あそこには確か噴水がある。どうやら壊れた物は噴水のようだ。
ボクとマリアが噴水に辿り着くと、すでに野次馬が集まっていた。城の兵士の姿も見えるけど、ボク達と同じように何があったのか分からず、応対に困っている様子だ。
煙が晴れてくると、そこには黒色の四足歩行のケモノのようなものが一匹立っていた。
どこかとげとげしい見た目をしており、大きさは犬よりも一回りほど大きい。野生の獣などでなく、関節部分の角張りかたがどこか作り物めいた様相を感じさせる。
「我は魔王ゴルド=エザベラーの使い。この町を滅ぼす」
獣は端的に宣告をした。
宣告の後、獣は町全体に響き渡るほどの咆吼をあげる。
獣の破壊力を最初に見せつけられた町の人たちは……。
「ま、魔王だって!」
「ば、化け物だー」
「殺されるー」
「きゃーきゃー」
大いにパニクっていた。
まあ、そこのところは平和な町だから仕方ないとして、
「マ、マリア。ボクたちも早く逃げないと……」
ボクはマリアの裾を引っ張ろうとすると、そこにはマリアの姿はなかった。
「あれ……マリア?」
「待ちなさい!」
声のした方を見ると、いつの間に登ったのか、マリアは民家の中で一番高い屋根の上に立ち、ケモノに向かって指をびしっと差していた。
「平和を害する化け物め。そんな狼藉はこの正義の勇者、マリアが許さなくってよ」
どこか、時代かかった物言いするマリア。
しかし、次の瞬間には、宙を飛んだ獣にマリアはぶっ飛ばされていた。夜空に浮かぶ星にならなかっただけ行幸といえるのか。ボクは落下地点に駆け寄って、落ちてくるマリアの体を受け止める。
「だ、大丈夫かよ?」
ボクが慌てて尋ねると、マリアは、「うーん……モンテスキュー……」などと、意味不明な言葉を口にしてから、はじけたように飛び起きる。
「はっ、いけない。早くアイツを追わないと……」
もの凄くせっぱ詰まった声を上げて、マリアは獣を追いかけるため駆け出した。
どうやら、獣は城の方へと向かったようだ。まあ、ボクもマリアについて行くしかなかった。
*
ボク達が城へたどり着いた時には、すでにとんでもないことになっていた。出来る事なら目を覆って、そのまま家へと帰りたい。
堅固そうな鉄の門はすでに壊れており、城のあちこちには火の手が上がっていた。鎧に身を固めた兵隊さん達が紙くずのように、ぽんぽんとぶっ飛んで行っている。
あ。今もまた口にひげを蓄えたおじさんが飛んでいった。あれは、城に帰ってくるまで三日くらいはかかるだろうなあ……と、今はそんなことを冷静に分析している場合じゃない。
ボクはもう一度、注意を獣に戻す。死人が出ていないのは不幸中の幸いと言うべきだろう。
「……く」
マリアは口元を噛みしめて、獣を睨み付けていた。先程は構えることも出来なかったトンファーを握りしめる。
まさか、もう一度戦うとでもいうのだろうか……。
「ちょっと、いくらマリアでも無理だって。見ただろう、あいつの強さを。大人の人たちだってやられているんだ。これは冗談じゃないんだよ!」
ボクは、今にも飛び出そうとするマリアの服の裾を思いっきり引っ張る。
「それでも、あたしは!」
マリアはボクの手を強引に振り払って、獣に特攻をかける。
しかし、世の中は甘くなく、マリアは先ほどと同じようにぶっ飛ばされた。
そのままマリアを放っておくと、さっきぶっ飛ばされていったおじさんと同じく、三日くらい帰って来られなさそうなくらいの勢いだったため、ボクは自分の身を盾にして、マリアの体を受け止める。
「……て、これでいい加減にわかっただろう、マリア。さ、ボク達も逃げよう」
マリアの思いは分からないことはないが、現実は歌のように甘いものではない。
「ごめん、レイブン。あたしは逃げることは出来ないの」
「どうしてだよ!」
「だって……あれはあたしが作ったんだから」
数瞬、時間が止まったような錯覚をボクは覚えた。
「…………はい? 今何と申されましたか、お嬢様」
「いや、魔王がいないなら作っちゃえばいいじゃんって思っちゃって。てへ♪」
マリアは照れくさそうに、いたずらっ子ぽく舌を少し出して笑う。
その彼女の様子は、普段のマリアと異なってとても女の子っぽくて、何とも可愛らしい。
「て。そんな仕草に騙されるかあ!」
さすがのボクでも絶叫してしまいました。
*
マリア曰く。
しかし、魔王っていうのはやっぱりどこかに存在するものなのよね。それなら、別の魔王が出てきたりしたら、やっぱり不機嫌になるんじゃないかな。そうよ。きっと、そう。だって、自分で魔の王とか言ってるんだもん。きっと、自分の他に偉そうな魔王が出てきたら不機嫌になるよ。だったら……。
「あたしが魔王の役をすればいいじゃん……ですかい」
ボクは全ての思いを込めた、ため息をついた。
全くもって何という結論なのか。これは、一種の悟りじゃないか。
マリアの中では、自分が魔王の役をすることによって、自分が放った刺客を倒すことで自身の良い鍛錬になるし、本当の魔王もおびき出すことが出来る。まさしく一石二鳥の作戦だ、と。
なるほど。待つのが極めて苦手で、活動的な彼女らしいといえば、らしいだろう。けれども、
「最低だ……」
世界を護るべき勇者を目指している子が、こんな発想では絶望的だ。
ボクはげんなりとした感じに、頭を抱えた。
ボクの言葉にマリアは、だってー、と幼い子供のように頬を膨らませる。
「だってー、じゃありません。ともかく、あれはマリアが作った物なの?」
ボクは獣のほうを指さし尋ねると、マリアはこくりと大きく頷いた。
最初に人形のような作り物めいた感じは受けたけど、本当に作り物だったなんて。しかも、マリアお手製の。
「だったら、何にも対抗策を考えてなかったの?」
「いやね。適当に落ちてたパーツを組み合わせただけなんだけど、あんなに強いなんて、びっくりだね」
「びっくりなのは、マリアのほうだよ!」
適当にくっつけただけって、どんな理論だ。
「うーん、最近弱いやつとしか戦ってなかったからなまっちゃったのかなあ……」
その張本人は、服の袖をまくって自分の腕を見ながらそんなことを言っている。一応女の子らしく、腕はほっそりとしている。一体この細腕にどうやったらあんな馬鹿力が込められているのか。
作った本人でこれだから、いよいよどうしようもない。
あー、もうマリアを引っ張って逃げてしまおうかなあ、なんてボクが思っていたところ、銀光が閃いた。
直後、先程まで暴れ狂っていた獣の首が、くるくると宙を飛ぶ。
獣の首が地面に落ちるのと同時に、残った獣の頭から下の胴体がばらばらに崩れ落ちていくのをボクは呆然と見守る。
見ると獣の残骸の横に、一人の青年が立っていた。
さらさらの金髪に碧眼。意志の強そうな瞳に、きりりと引き締められた体躯は青色の鎧で固められている。
青年は剣を鞘に収めて、こちらのほうに歩み寄ってくる。
「大丈夫ですか」
ボク達に手を差し出して、さわやかに微笑んだ。
「私の名前はノーザンクロスと申します。ノースと呼んでください」
「あ、はい。ありがとうございます」
マリアは慌てて、頭を下げる。すると、彼女の目がはっと何かに気付いたように見開かれる。きっと、今の私って勇者というよりは、勇者に助けられているヒロインじゃないって表情だ。うん、見ていて実にわかりやすい。
「まあ、大丈夫だよマリア」
「……何がよ」
「マリアってどう頑張ってみたとしてもヒロインっぽくないから」
マリアが物語のヒロインなんて、僕が勇者になるのと同じくらい無理がある。
「ふーん、そっか。レイブンって自殺願望があったんだ」
マリアがボクをぼこぼこにしている間に、城の人たちは集まってきていた。その中には、王様も混ざっている。
見るも無惨な事になっているけれど、高級そうな赤い絨毯に、金色の模様をあしらった玉座がある。今まで気付いていなかったけれど、どうやらここは謁見の間のようだ。
その中でノースさんは、
「陛下。魔王の城の場所がわかりました」
と、片膝をついた姿勢で王様に報告をした。
魔王というフレーズに、マリアが激しく反応する。
「おお、でかしたぞ、ノースよ」
「ですので、早速魔王を倒すべく、出発したいと思うのでありますが」
「む」
しかし、王様は眉をしかめた。
「しかし、いかにそなたといえど、一人ではさすがに危険だろう」
「ご心配なく」
そう言ってノースさんはマリアの方を見る。
「彼女の勇気のほうは、ご覧になられたでしょう、陛下。彼女たちの協力があれば、きっと魔王を倒すことが出来ます!」
芝居がかかった口調でマリアをノースさんは紹介する。
「おお、そなたの勇気があればたしかに心強い」
と、王様はおおげさに頷く。
……いやしかし、勇気だけじゃしょうがないでしょう。勇気だけじゃ。昔の勇者みたく、愛と勇気だけが仲間というわけじゃあるまいし、さっき手も足も口も出せずにぶっ飛ばされていたのは見ていないのだろうか。
というか王様、お忘れですか。ボク達は間違って城の神官をぶっ飛ばしてしまったやつらだっていうのを。
大方、化け物が居た場所で、最後まで立っていたから白羽の矢がたっただけだろうけどさ。
ボクが皮肉げにそんなことを考えるが、とうのマリアは、
「はい。喜んで!」
と、ちっさな胸を張って答えた。
彼女がこう答えるのは、予想の範囲内ということで。
「目指すは、カタート山脈へ!」
「――!」
高らかに宣言されたノースさんの言葉に、硬直するマリア。
カタート山脈はマリアが先程の獣を作るために根城にしていた場所だ。よって、魔王=マリアという分かりやすい図式が成り立つ。
ボクは内心で盛大なため息をつく。
「いざ、カタート山脈へ」
と、ノース。
「エイジスのご加護を」
と、王様。
「…………」
そして、沈黙のマリア。
さてさて、何だか盛り上がってきたようですけど、一体どうなることやら。