幕の終わりに

 

 シオンが目を開くと見慣れた天井が目に入った。窓からは小鳥のさえずる音が聞こえてくる。どうやら、朝を迎えたようだ。
「あ」
 意識がはっきりすると共に、飛び起きる。そしてそのまま寝癖を直すこともせずに、ウインドブレーカーだけ羽織って家を飛び出した。
 病室に辿り着くと、姫花は身を起こして窓の外を見ていた。
「姫花」
 シオンが呼びかけると、姫花はえへへといたずらっ子のように笑いながらこちらを向いた。
「おはよう」
「おはよう」
 そんなどこかぎこちない挨拶を交わす。
「よかった。目を、覚ましたんだな」
 いざとなると何を話せばいいのか分からず、当たり障り無く話しかける。
 すると、姫花はシオンに向けて思いっきり舌を出した。
「さっさとユウさんを追いなさいよ。もうここにはいないんだから」
 あっちに行けと言わんばかりに手をしっしと振られる。まるで野良犬を追い払うかのようだ。
「また後で来るから」
 シオンは促されるまま、病室を後にした。
 一人残された姫花は目元を押さえる。ふと、サウンドオブミュージックのことを思い出してしまう。
 本当のところ、サウンドオブミュージックを最後まで見ていないことなどない。あの結婚式の後のマリアと前半のマリアがとても同じ人物には見えないからということ。そしてあの映画には凄く嫌いな言葉があるから、続きを見ることをしないだけなのだ。
 その台詞は、歌を歌ってもどうしようもない時があるのよ、という言葉だ。
 あれほど、歌を歌えば悲しい気持ちは晴れると言っていたのに……。
 丁度見回りに来た看護師は、姫花が目を覚ましていることに気がつく。そのことを医者に報告しに行こうとするが、泣いている姫花をそのまま置いていくことも出来ずに、どうしたの、と尋ねた。
「いえ」
 決して口に出来ないこの思い。
 今は思い切り泣いておこう。
 これからやらなくてはならないことがいっぱいあるのだから。
 優しい風が花瓶にさされたひまわりをゆらゆらと揺らしていた。


 †


 そこは少年と少女が初めて出会った場所。
 度重なる戦いのせいか、公園の中は酷い有様だ。まともな状態の物が一つも残っていない。その中央に三つ編みの少女が待っている。
「来ると思いましたよ」
 やって来た少年に向けて、ユウは笑いかける。
「ああ、俺もここにユウがいると思った」
 シオンは照れくさそうに頭をかきながら、ユウの目の前まで駆け寄ってくる。
 ユウの背中からは朝日に輝く銀翼が見えていた。
「ふふ、さすがに限界のようです」
 これ以上隠すことは出来ないといった感じに言った。
 差し出された手の平からも銀色の粒子がこぼれ落ちていく。そして銀の粒子がこぼれ落ちている手の平の輪郭は、すでに薄れていっている。
 銀の光は命の炎。悪魔と異なり、人の身を自らで作り上げているユウは、力のほとんどをそのことに割いていると。人の身に干渉することは一つの世界を創造するよりも難しい。だから昏睡状態の姫花を治すほどの力を使用したユウには、体を維持する力も残っているはずもない。
「シオン、あなたに出会えて本当に良かったです」
 別れの言葉が告げた。
 シオンは無理矢理といった風に、笑ってみせる。本人は出来るだけ自然に笑ったつもりだろうが、無理をしていることが見え見えであった。そして、言葉を伝えることは困難と思ったのか、代わりに一つの物を放り投げた。ユウは放られた物を受け取り、手の平を開く。
 それは鍵だった。シオンの家の合い鍵。
「あの家。一人じゃ広すぎるんだ。だから、さっさと帰ってこいよな」
 シオンはすでに背を向けて、歩き出している。格好を付けて片手をあげて、ひらひらと振っている。
 そしてユウは、そんな後ろ姿を見ながら、
「はい」
 満面の笑みを浮かべて、頷いた。


 †


「あ」
 ふと気がついた。
 自分が出かけるとき、家の鍵はちゃんとかけた。そのときに使ったのは合い鍵だ。いつも使っている方は、昨日良平に渡してしまったからだ。
 まったくもってしまらない。帰ってこいよ、なんて言いつつ、これでは自分が家に帰れない。
「ま、いーか」
 結局諦めたように、ため息をつく。
 仕方がないから姫花のところに行くとしよう。そうすれば、きっと良平も来るはずだ。一緒についてきた沙紀には頭に引っぱたかれることだろう。
 そんなことを考えながら、病院へと足を向けた。

      

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