シオンの父は警官である。そのため、シオンは子供の頃からずっと剣道をしていた。
もっとも堅苦しい父ではなかったので、子供の頃は柔道や空手などと武道と名の付く物は何でも体験させられてきた。父曰く、何事も幼い頃から経験しておいた方がいい、とのこと。それには、警察に捕まらない程度の悪いことはしておけという意味も込められている。警察の風上にもおけない父である。
そのおかげかどうかは、シオンにはわからないが、運動神経は飛躍的に高まりスポーツ、武道においてシオンは誰かに負けたことがなかった。
シオンは父とは異なり、一つのことを極めるということと剣というものに憧れがあったため、中学に入学してからは剣道にだけ力を入れてきた。
そのことを父に話すと、古臭い奴と鼻で笑われたことはシオンにとって腹立たしいことであったが。
†
目覚まし時計が景気よく鳴り響き、
「うるさい!」
その目覚まし時計をシオンは問答無用で叩き伏せた。
目覚ましを黙らせた後、シオンは大きくのびをする。
「よっし」
先日と異なりちゃんと目を覚ますことの出来、気分を良くしそのままの調子で朝食を準備する。準備するといっても、パンをトースターに詰めてコーヒーを入れるだけなのだが。後はオプションとして、マーガリンとジャムをテーブルの上に並べて出来上がりだ。
「朝食くらい食べるよな」
食パンをテーブルの上に並べながらシオンは天井を見た。ユウは二階の姉の部屋のベッドで眠っている。
シオンは学校へ行くわけだから、ユウには留守番をしてもらうことになる。朝食を食べないまでにしても、起こしておいた方が良さそうだ。
彼女の部屋の目の前まで行きノックをするが、返事はなかった。
「入るぞー」
さらにもう一度確認して、ノブを回す。
ユウはベッドの上で眠ってる。一糸の乱れなく静かに。カーテンの隙間からわずかに差し込む光が、どことなく神秘的な雰囲気を醸し出している。
「ふむ」
シオンは無言のままユウの近くに近づき、彼女の小さな鼻をつまんだ。
とりあえず、姉以外の女の子でシオンの目の前で眠っている子がいたら、彼は必ず鼻をつまむのだ。子供だから。
ユウは苦しくなってきたのか、眉をしかめる。しかし、シオンは尚手を離さない。
待つこと数秒。ユウはゆっくりと目を開いた。
ユウはぼうっとした目でシオンの姿を確認すると、
「おはようございます」
普通の挨拶をした。
「おはよ」
シオンも、普通に返すことしかできなかった。
†
「おはよ」
シオンはクラスメイト達に挨拶を交わしながら教室へと入る。時間はぴったりだ。
チャイムが鳴ると、沙紀が出欠簿片手に教室の中に入っている。
「静かにしろー。ホームルームを始めるぞ」
沙紀は出欠簿で机をばしばし叩いた後、出欠を取り始めた。
シオンはホームルームの間、ぼおっと窓の外に目をやる。朝の喧噪は穏やかなもので、こうしていると昨日あったことがまるで嘘であったかのように思える。
しかし、あれは現実。それも、ここ半年シオンが望んでいたもの。
「シ・オ・ン・く〜ん」
シオンは自分を呼ぶ、妙に甘い声のする方を向いた。見ると、沙紀が教卓で、くいくいと指招きをしている。
――なんだあれは。
どうやらシオンがぼうっとしている間に、ホームルームは終わっていたようだ。シオンは薄ら寒い物を感じながら沙紀に近づいた。
そして、シオンが教卓へと辿り着くと、有無を言わさずにヘッドロックを極められた。
「あんたって子はーー」
「ちょ。いきなり何を」
抗議の声などむなしく、そのまま廊下にまで引きずり出される。
その手は、廊下に出るとようやく解放された。
「一体何なんですか、沙紀さん」
「それはこっちの台詞よ!!」
まるでキスをするのではないか、と思えるくらい沙紀は顔を近づけてくる。
「……だから、何のこと?」
「自分の胸に聞きなさい!」
とりあえずシオンは自分の胸に聞いてみる。
『何で沙紀さん怒ってんの?』
『そりゃ、俺のことが好きだからさ』
『なるほど。それは一理あるね』
何処に一理あるのか疑問に残るところだが、確実に違うこと請け合いの結論がシオンの胸の中で出された。
「昨日のさぼりの件だ」
ほとほと困り果てるシオンに、いつの間にか隣に来ていた良平が助け船を出す。どうやら最初からシオンについてきてくれていたようだ。
なるほど。確かにシオンは昨日学校をさぼった(その上遅刻もしていたのだが)。
しかし、それだけにしては沙紀は怒りすぎなように見える。
「良平。一体沙紀さんにどんな説明をしたんだ?」
良平に耳打ちする。
「うむ。簡潔かつ、的確に説明したんだがな」
「――な」
良平の説明に、絶句する。良平曰く、一昨日の夜。シオンは夜の町で女の子に出会い家に連れて帰った、とのこと。
「お前ってやつは……」
良平の首根っこを捕まえて、自分の顔の間近まで引き寄せる。
「何だ?」
「何だ、じゃねえ。何だこの説明は」
「実に的確ではないか。結構難しかったんだぞシオンの言っていた幻想化学的な出来事を抜き、説明するのは」
良平は悪びれた様子もなく、淡々と言う。
「上手いこと言っといてくれって、上手いこと誤魔化しといてくれってことやっちゅうねん!」
とりあえず良平のほうは後回しにすることにし、沙紀へと顔を戻す。
今の良平の言葉を脳内保管されたら、
「夜の町で声を掛けた女の子に、気を失うまで無理矢理飲ませて、自分の家に連れ込んだって! きー、あたしですらお持ち帰りしたことなんてないのに」
こうなる。
叫ぶ沙紀は烈火の勢いだ。教育者として聞き捨てならないことまで言っているのに、気付く要素もない。
「違う。違うんだ」
自分の名誉のために必死で弁解を試みるが、怒り狂った沙紀を目の前にそのような物焼け石に水、もとい溶岩に水であった。
結局、シオンの言い訳など天に届くはずもなく、昼休みに図書館の資料室の整理を押しつけられることとなった。
†
「あーだる」
積み上げられた資料の数に、早くもやる気をなくしてしまうシオン。バベルの図書館とまではいかなくとも、百や二百できく量ではない。あまり資料室自体使われていないのか、光によって浮かび上がる埃の量もかなりの物になっている。
「文句を言うな。さっさと片づけて昼食を食べるぞ」
「へい」
良平に促されて、シオンは資料の整理を始める。
良平は怒られたわけではないのだが、ただの好意で手伝ってくれているのだ。実にいいやつである。
「そーいえばさ」
シオンは良平に聞いておかないといけないことを思い出し、尋ねる。
「前に聞いたとき、超能力を使えるって不良の話していたよな。そのことを詳しく聞きたいんだけど」
今日の朝食中に、ユウと今後の方針を話し合っている。
悪魔の力は超常現象へとつながる。力を持った物はその力に溺れる者は少なくない。
だから町で何か怪事件なり超常現象なりのことを調べていけば、いずれバールベリトに突き当たるであろうというのが、ユウの出した結論だった。
それは、半年間シオンが個人でしていたことと何ら変わりない。幸いなことに、良平に尋ねたことを噂では聞いていた。そのために、まずはそのことから調べるということになったのである。
「ふむ」
良平は一度、資料を整理する手を止めて腕を組む。
「確か、連中の組織の名はワイルドファング」
「組織ってあんた……」
「ちなみに漢字に直すと我射流怒煌愚だ」
「……細かい突っ込みをいれるのはよしておくよ」
シオンは呆れるように呟く。
「そうしてくれると助かる。それでだ、最近……いつだったか正確な日付は忘れたが、構成員の一人である荒井直人が、組織の長たる金城信也を倒すことにより、首尾良く長の座についたそうだ」
「倒して成り上がるって、そいつらは武闘派か何かか?」
シオンの質問に良平は首を横に振った。
「それは違うようだな。元々は走りが専門の組織だったようだが、まあ考えても見ろ。いきなり得体の知れない力を見せつけられたら、そいつに逆らうことなど出来ないだろ。人は本能的に未知なる物を恐れるからな。長を潰して見せるのはよい示威行動だ」
得体の知れない力という言葉で、昨夜の出来事を思い出してしまう。おかげで身震いをする気持ちになってしまった。
「それで、その超能力とやらは一体どんなものだったんだ?」
一番肝心なことを尋ねる。これで、何も触れずに車や電信柱を動かす、サイコキネシスのような力なら、間違いなくバールベリトであろうが。
「すまんな。そこのところはまだ分からない。実際あるかどうかも分からないし、いつもと同じように外れの可能性のほうが高いと思うがな」
「オッケ。それは自分で確かめる。それなら、そいつらの溜まり場は分かる?」
「第二倉庫によく集まっているようだ。場所はわかるか?」
「ん。大丈夫」
この町の海沿いの道に、すでに廃棄された倉庫が五つほど並んでいる。元々同じ会社の倉庫だったのか、屋根に通し番号がペイントされているのだ。廃棄された場所なので、人は勿論寄ってこず、溜まり場所としてはもってこいなのだろう。
「止めはしないが、無理はするなよ」
シオンは頷いて、資料の整理に戻る。
「む……」
「どうした?」
「今校門から人が入ってきた」
良平は窓の外を見たまま答えた。資料室は校舎の四階に位置しているため、ここから校庭は一眸できるのだ。
「こんな時間にか。随分と社長出勤だなあ」
昨日四限目の終わりに登校したシオンの言葉である。
「いや、蒼城の制服を着ていない。誰かの忘れ物でも届けに来たんだろう」
「ふーん」
何となしに興味を引かれ、シオンも窓から校庭を見下ろしてみた。
「て、あれユウじゃん!」
見知った人物に、シオンは思わず大声で反応してしまう。
「ゆう……?」
「ほら、昨日言っただろ。空から降ってきた子がいるって。あの子がそうだよ」
「ふむ」
良平は顎に手を添え、視線をユウへと戻し、
「美しい方だな」
と、率直な感想を漏らした。
「だろ。て、そうじゃなくて」
ユウの突然の来訪にシオンは、嫌な予感がよぎる。何かあったのだろうか。
「良平すまん。用事が出来た。後のことは上手いこと言……ごまかしておいてくれ」
微妙に訂正して、シオンは資料室を飛び出していった。
「ごまかすって何をだ?」
一人残された良平は腕を組んで考え込む。
「今の女の子のことか。ふむ」
良平は納得したように、何度も頷く。
「よし。それなら、あの子は家出をしているということにしておくか。それで、シオンは同情の言葉をかけることにより、相手の依存心を増させ……」
どうやら、明日もシオンが怒られるのは決定事項のようであった。
†
「どうしたのさ?」
グラウンドの中央のところででユウを見つける。相変わらずの三つ編みに、彼女の着ている服は目立つ水色のパーカーなのですぐに見つけることが出来た。
「散歩の途中だったのですが、シオンの通っている高校が見えましたので寄ってみたのです」
「散歩……」
年寄りじみた趣味だなと思うシオンであった。
「いえいえ、いざこの辺りで戦うとなったら地形に詳しい方が有利ですからね。そのための調査もしているのです」
シオンの考えを読んだように、ユウは説明をする。だから昨日も、出かけていたのかと納得した。
「それとですね。申し訳ないのですが、お腹がすきました」
ユウは真顔で訴えてくる。間抜けにも、へ、なんて聞き返してしまった。
「あの、お腹がすいたのですが」
二度繰り返すユウ。
確かに学校へ行くと言っただけで、昼食の用意はもちろんのこと、家にはお金も置いてはいない。冷蔵庫の中もからっぽ。つまるところ、犯罪にでも走らない限り、彼女は自力で食事をすることは出来ない。そのことをすっかり忘れていた。
「今から食べに行こうか」
反省の意味を込めて、そんな提案をする。
「よいのですか。シオンはまだ学校でしょう?」
「あ、いーのいーの。帰ってもどうせ怒られるだけだから」
一怒られるのも二怒られるのも同じ同じと勝手に決めつけ、軽く手を振って見せた。それに、こんな現場を沙紀に見られる方がシオンにとってまずいことだ。
いったんそう決意すると、後の行動は早い物。シオンは首を傾げているユウの手を取って、近くのファミリーレストランに連れて行く。
店の中には客は少ない。元々ターゲットを学生に絞っているからのだろう。
椅子に着いてからのユウはじーっとメニュー表を睨み付けている。ウェイターが注文を取りに来ても、そのままの調子だ。
仕方がないのでシオンが先にお昼の日替わり定食を一つ頼んだ。火曜日の定食はハンバーグとエビフライ定食だ。ボリュームもあり値段も手頃。
ちなみに、木曜日の日替わり定食はしめじの紅茶焼きと人気のないメニューとなっている。学生のくせにお昼の定食を全て制覇しているシオンであった。
「私も、同じ物をお願いします」
結局ユウは悩んだ末、シオンと同じ物を頼んだ。
「……ひょっとして、こういうところに来るのは初めてなの?」
「はい。というよりも、まともに人と話すこと自体シオンが初めてですので」
単純に驚く。今までの彼女の話しぶりでは、何度も人の世界に来ていたようなそぶりだったからだ。
「いえ。確かに私は何度か下界しているのですが、すぐに目的を為して帰っていますので。今回が特別なのですよ」
ユウの口調には予定外という意味が、はっきりと込められている。つまるところ、バールベリトはそれほどまでに強力ということなのだろうか。確かに、昨日の惨状を思い出すと、今でも鳥肌がたつ思いだ。
「ユウにはあんな力ないの? バールベリトがしていたみたいな。サイコキネシスのようなものは」
「少しだけありますよ。見ていてください」
そう言うと、ユウはお冷やの入ったグラスを手に取った。
ユウはそれをテーブルの中央に移動させる。
「リード」
彼女がそのグラスを指さし、命じるとグラスは誰の手に触れることもなく宙に浮かんだ。
ユウが指を降ろすと、グラスはことんと音をたてて元の位置へと戻った。
「おお。一体どうなっているんだ」
今のグラスを意味もなくつついてみた。気分的にはタネのない手品を見ている気分である。
「じゃあ、シオンに聞きますが。このグラスは何故、宙に浮かずにテーブルの上に乗っているのですか?」
「そんなの重力があるからだろ」
その程度のことくらいシオンでも知っている。
「では、何故重力があると物は地面へと落ちるのですか?」
「えーと、確か質量がある物同士は引き合うから……だったかな」
高校一年の物理の知識を引っ張り出して来て答える。
「では、それなら何故質量のある物同士は引き合うのですか?」
「それは……」
シオンが詰まると、ユウはくすりと笑う。
「確かに、質量があると空間がひずむ等と、何とでも付けられるでしょうね。ですが、物事にはその理由のさらなる理由という物があることになっていきますよね。何々がある。ではその何々がある理由は、と。そして、最終的に結論づけられるのは、"そこにあるから"。それ以外に他なりません」
ユウの言っていることが理解できないため、とりあえず頷いてだけおいた。
「時間の流れ。空間の位置。原子の組成。物理化学などが絡まり合い、この世界は存在しています。そして、世界を構成する要因を最後まで突き詰めた物が、摂理となります」
「…………」
「そして、この世界を構成する理論は膨大です。つまるところ、否が応でも綻びという物が生まれます。干渉力という力はその世界の綻びを外から改竄することにより、この世界の理論外のことを為すことが出来るのです。今のように重力を無視することしかりですね」
「えーと。つまり、魔法みたいな力は誰でも使えるってこと?」
その程度のことしか尋ねることが出来ない。
「いえ、私の世界。ここでは精神世界と呼んでおきましょう。天使には階級というものがあります。ご存じですか?」
「えーと、熾天使(セラフィム)っていうのが一番偉いんだっけ? ミカエルとかガブリエル」
ゲームで知っている知識をシオンは話す。
「階級が高い者ほど、彼の者に近い存在なのです。そして、干渉力は世界の綻びに接すること。世界と同調することです。神の作った世界に同調するには、その存在に近ければ近いほど可能です」
「ようするに、強いやつほど世界の法則をねじ曲げられるって事?」
「そうですね」
簡潔にまとめられてた。
程よく頼んでいた料理が運ばれてくて、シオンとユウの目の前に並べられる。
ユウは手を合わせてからぺこりと頭を下げ、しっかりと挨拶をする。
「頂きます」
律儀に挨拶をするユウが、何だかおかしくて笑ってしまう。
「何か変でしょうか?」
ユウは何故笑われるのか分からずに、シオンに尋ねる。ユウにすれば食事の前に挨拶をするのは至極当然のことだからだ。
「いや、ううん。何も変じゃないよ」
笑いを堪えながら答える。確か昨夜もちゃんと挨拶をしていたはずなのに、何故今更になって笑ってしまうのか。昨日はよほど自分には余裕が無かったのだなと自覚してしまう。
そのまま食事をするユウをちらちらと覗き見るが、別にナイフとフォークの使い方におかしなところは見受けられない。下手をすれば、シオンの方がおかしな使い方をしているようにすら見える。
「知識としては知っていますからね。昨夜のお箸などよりは、こちらのほうが使いやすいです」
「ふーん、て――」
納得して頷きかけるが、そんなこと自分は聞いてもいないことに遅れて気付く。
「シオンは正直者ですね。全部顔に出ていますよ」
干渉力というもので、心でも読まれたのかと思うシオンに、そんなものは必要もないですよ、という感じでやんわりと言うユウ。
おかげで食事に専念するしかなかった。頬が熱く感じたのはきっと気のせいだろう。
†
つつがなく食事を終え、シオンはお冷やを口に運ぶ。
それから一つのことに思い至って、近くを通りかかったウェイターを呼び止め、追加オーダーを頼んだ。
「何を頼まれたのです?」
「くれば分かるよ。それで、さっきの続きだけど。バールベリトって強いの?」
「バールベリトですか」
ユウもお冷やを口に運んだ後、少しだけ眉をひそめた。
「地獄の七大君主が一人、バールベリト。堕天する前は、智天使の君主だった方です」
「それって」
「はい。私などに比べて、極めて高位なリザリアですね」
改めて自体の深刻さを認識させられる。
「シオン」
ユウはシオンの瞳をすっと窺う。その視線に気付き、首を横に振った。
「うん。俺は大丈夫」
「そうですか」
ユウは眉を下げ、酷く悲しそうに微笑んだ。
しかしそんな顔をしたのは一瞬で、すぐにいつもの涼しい表情へと戻ってしまう。そのため、シオンにはそのことを尋ねる間もなかった。
「しかし、あんなに動いたりするのに、ユウって食べる量は普通なんだね。あはは」
誤魔化すように間抜けっぽく笑う。
「ええ。そのためのこの体ですから」
「そのため?」
「天使と悪魔の違いとしまして、天使は自分の能力でその身を作り、悪魔は人の体を乗っ取ることで世界に存在します。だから私は、熱量の消費を押さえるため、筋力の方は出来るだけ落としているのです」
ユウは自分の体を示しながら言う。
「ふーん。だから、そんなに綺麗なんだな」
くすくすとからかうように笑った。
「綺麗……ですか。よく分からないのですが」
ユウは首を傾げる。
「え。だって、顔とか小さいし」
「顔は人の体で最大の弱点ですからね。小さくしているのは当然でしょう」
「じゃ、じゃあ。瞳が大きいのは……」
「瞳は大きくないと、視野範囲が狭くなりますからね」
……これは、突っ込みを入れるべきなのだろうか? それとも、これが天使ジョークという物?
ユウを見ると、彼女は何の表情の変化も見せずにシオンを見てる。ナイスジョークで行くべきか、大まじめに返すべきか……さっぱり判断がつかない。
「チョコレートパフェとコーヒーをお持ちしました」
タイミング良く、先ほど注文していた物がテーブルに届けられた。内心で安堵の息を漏らす。
「これは?」
「食べてみれば分かるよ」
シオンに促されるままに、ユウはスプーンですくい口に運ぶ。
「どう?」
尋ねると、ユウは一度頷く。
「これは、良い物ですね」
「だろ!」
小さく拳を握る。昨夜のユウがクッキーは手が進んでいるように見えた。どうやら自分の見込みは間違っていなかったようである。
「糖分に含まれる成分はですね、脳の血液中の――――」
何故だか、化学の講義が始まった。乳酸を分解するのは、酢酸等々。肉体の疲れには酢がいいらしい。甘い物が疲れに良いとばかり思っていたシオンには新しい発見であるが。
「…………」
この時、本気で思った。女の子って分からない……。
ユウが一口一口大事に噛みしめていたことは、気付かなかった。
†
レストランの外に出て、シオンは空を見上げる。
「これから、どうするのです?」
日はまだ高い。ワイルドファングの連中が集まるには、早すぎる時間帯。
「寄るところ……があるんだ」
ユウの方を向かずに答えた。
シオンたちはそれから、一件の花屋により、一輪の雪の結晶のように白い産毛に包まれた星形の花を買った。そして、そのまま病院へと向かう。
山本総合病院。408号室。
開かれた窓から吹き込まれる風に吹かれてカーテンがゆらゆらと揺れている。もともと光があまり差し込まないように設計されているのか、わずかな光だけが部屋の中に差し込んでいる。
その部屋の真ん中で眠っている少女が一人。
少女の名前は、白雪姫花。
半年前の事件から決して目を覚ますことのない少女。
正真正銘の眠り姫。
「悪いな。昨日は色々あって来れなかったんだ。これはわびの品。お前、これ好きだもんな」
そう言って、シオンは買ってきたエーデルワイスを見せてやる。
「それにしても、今日の沙紀さんなんて酷かったんだぜ。俺何も悪いことしてないのによ」
桃色の花瓶に入った古い花と、今日持ってきた花を交換する。それから備え付けのパイプの椅子に腰掛けた。
「しかも罰として資料室の整理だってよ。全く相変わらず短気だよなー。あれじゃ、嫁のもらい手がねーぞ。あ。今の沙紀さんに絶対に言うなよ。次こそまじでぶっ殺される」
いつもと変わらぬ調子で話しかけながら、姫花を見る。
とてもとても安らかな寝顔。光に照らされて、優しくきらめく亜麻色の髪は、半年前よりも随分伸びてしまっている。そして、閉じられた瞳。
ずっと動かされぬその顔も、病的なまでに白くなってしまった肌もとても美しかった。白雪姫という名前にふさわしく思えるほどに。
グリム童話における王子は死体愛好家だったから、亡くなったように眠る白雪姫を引き取ったとのことらしい。それまでシオンにとっては、気持ちの悪い話に過ぎなかったが、その王子の気持ちがほんの少しだけ分かる気がした。それと同時に、そんな風に感じる自分自身に狂い果ててしまうほどの罪悪感を覚える。
「あ。そう言えば資料室の整理、良平に任せたままだった。悪いことしたな。後でメール送っておこっと」
だからシオンは話し続ける。いつもと変わらぬ調子で。
一昨日も、昨日も、今日も。変わらぬ彼女に。
明日はきっと。そんな願いを込めて。
返ってくるのは、規則正しい呼吸の音だけであった。
†
「今のやつはさ。白雪姫花っていうんだ」
病院の外に出た後、誰に聞かれるわけでもなく話し始める。
「半年前。事件に巻き込まれてから目を覚まさないんだ」
半年前のことはシオン自身深くは覚えていない。
いつもの公園で、深い人の形をした闇に襲われた後、二人は気を失っていたのを偶然通りかかった人に発見されたのだ。
そのまま病院に運ばれた二人のうち、シオンは翌日目を覚まし、姫花は決して目覚めることはなかった。いわゆる植物人間という状態だ。
医者との話し合いはシオンの知るところではない。安楽死という選択肢もきっとあったのだろう。しかし姫花の両親はそんなことは望まなかった。たとえ望んだとしてもシオンは絶対にそんなことをさせなかった。
そして、今も彼女は眠っている。
病院のベッドで一人、寂しく。
この事件について、落雷でも落ちたんでしょう。現場の惨状から警察の人はこんな無責任な結論を口にした。
シオンは精一杯説明した。人の形をしたものに襲われた。落雷でアスファルトが割れるはずがない。
ショック症状。精神麻痺。色々言われた。優しくしてくれた。
けれども、そんな優しさは欲しくなどなかった。
ただ、自分の言ったことを信じてもらいたかった。
――警察は相手にはしてくれなかった。
そして、一つだけ分かることがあった。それは一番大切なこと。
姫花を守れなかった。
この事実。
シオンにとって、その事実のみが重要であった。
「だから……なのですね」
ユウは言いづらそうに言う。シオンは隣に立つユウの方を見ずに頷く。
今のシオンにそちらを向くことなど出来なかった。自分がどんな表情をしているかシオン自身分からない。
だから、シオンは夜の町を彷徨う。
あの闇を捕まえるためにどんな小さい手がかりでも、どんな与太話でも良平の協力を経て調べ上げた。
それしかシオンには出来ないのだから。
そして、ようやく。半年待ってようやく巡り会えたのだ。
たとえ、どれほど相手が恐ろしくても――
ユウは無表情のまま、何も言うことが出来なかった。
†
その日の夜。シオンたちは良平に教えてもらった二番倉庫へとやってきた。
海沿い特有の潮の匂いを含んだ風が鼻につくのを感じる。海は黒く夜の闇と混ざり合い、境界線が見あたらなかった。
倉庫の付近には何台も中型から、大型のバイクが止められていた。そのバイク等には我射流怒煌愚という赤色のステッカーが貼られてある。どうやら間違いなさそうである。
「ねえねえ」
シオンはにこにこと笑いながら、倉庫の入り口で煙草を吹かしている男に近づく。
「誰だてめえ?」
「誰だって聞かれても。春紫苑って申します」
尋ねられた通り自分の名を名乗る。
「てめえ! 馬鹿にしてんのか」
男はシオンの胸ぐらを掴みあげた。
しかし男はシオンの持った竹刀袋に、そのまま真横にはじき飛ばされる。男はそのまま機材の山へとぶつかり、盛大な物音をたてる。
「あーあ」
大きくため息をつく。
今の物音に反応し、倉庫の入り口からぞろぞろと似たり寄ったりの格好の男達が姿を見せる。良平の言ったとおりワイルドファングとは走りが専門のチームなのか、革ジャン姿の者が多い。その人数はざっと十人ほどだ。
「てめえ!!」
「何者だコラァ!!」
口々に罵る声を上げる。これだけ人数がいても、あまり言っている内容は変わらない。
「あー。おたくらのリーダーの荒井直人さんと、話がしたいんですけどー」
竹刀袋でとんとんと肩を叩きながら、挑発気味にへらへらと笑う。シオンには最初から話し合うつもりなど毛頭無い。手荒な方法になるが、このほうが手っ取り早い。
「何が話だ。ふざけやがって」
竹刀袋から中身を出さないまま、向かってくる男達に突きつける。
「ちょっとどきな」
横柄な声が響き、シオンたちを取り囲んでいた男達の輪が開いた。
そこには金髪に染めた髪を全て押っ立てている男が姿を見せる。
「荒井さん。こいつが、荒井さんに何か話があるって」
嘆息する。どうやら、この金髪男が荒井直人のようだ。しかし、バールベリトの容姿にはほど遠い。
「バールベリトじゃないみたいだけど、どうする?」
横に立っているユウにそっと耳打ちする。
「いえ、この方が持っているあの黒い棒」
ユウは鋭い目つきのまま、荒井の右手に握られた黒い棒を睨み付けている。ぬめぬめと泥のついている気持ちの悪いその棒を、シオンも目が離せない。
「あれは。神の剣の一端です」
「神の剣?」
「……はい。破壊の天使が、神に与えられたとされる一品です。しかし、破壊の天使は悪魔の一種。捨て置くわけにはいきません」
「はははは」
ユウの言葉を遮るように、荒井が頭を抱えて突然笑い出す。
そのままシオンの方を見て、
「いいぜ」
と、言った。
「てめえ、一人となら話をしてやってもいいぜ」
荒井はシオンを指さす。
「オッケー」
何のつもりかは分からなかったが、話を聞いてくれるのなら好都合である。
きな、と顎で示し荒井は倉庫の中へと入っていった。その後を追う。
「駄目ですシオン。いくら低級の悪魔とはいえ、あなた一人では危険すぎます」
ユウはシオンの手を取り、呼び止める。笑ったまま手をひらひらと振り、
「よく分からないけど、あれは剣なんだろ。だったら――絶対に負けないよ」
余裕を持って答えた。
†
倉庫の中は、予想外に明るかった。廃棄されているというのに、まだ電気が通っているようである。しかし、掃除の手入れは入ってないのか、壁全体は黒ずんでいた。
倉庫の中央まで歩を進めた荒井はようやく歩みを止めて、振り返る。
「へへ。嬉しいね。噂は聞いていたが、あんたがわざわざ来てくれる何て、本当によ」
荒井は嬉しそうに笑う。
「どういうこと?」
「春紫苑。蒼城高校二年。一年の時に、高校剣道の国体、インターハイ制覇。中学時代は、全中で三回優勝。出た大会では未だ負けなし」
「よく知ってるね」
よどみなく言われ、驚いてしまう。
「はん。てめえは俺のことなんざ覚えてもいないだろうがな」
「ん。俺、あんたとあったことあるの?」
――荒井直人。荒井直人。荒井直人。
「あ」
ぽんと手を叩く。
「ごめん。わからない」
正直なことを口にした。失礼かもしれないが、思い出せないものは思い出せない。
「ぐ……てめえが中一の時にあった県大会の決勝の相手だよ」
こめかみに血管を浮かばせるが、荒井は唇を吊り上げる。シオンは荒井のことは思い出せなかったが、彼の言いたいことはよく分かった。
「つまり、あんたは」
「そうだよ。天才さんに、俺の気持ちを教えてやるよ!!」
手に握られた神の剣という名を持つ黒い棒を振り上げた。神の剣の名とは裏腹に、実に禍々しい雰囲気を漂わせており、剣の先端から黒いヘドロのような液体が、ぼとぼとと地面にしたたり落ちている。
「そのための力を手に入れたんだ!」
「――――!」
シオンも竹刀袋を投げ捨てた。すると黒い鞘に収められた一本の刀が姿を見せる。鞘から抜き放たれるは白い刀身。
「は。そんなものが、どうしたって言うんだ」
荒井は叫び、棒を振り下ろす。
棒は辺りに泥を散らしつつ、鞭のようにしなって伸びた。ひゅおんと、風を切りながらシオン目がけて、波打ちながら襲いかかる。
「く」
刀を横に薙ぐ。払いのけるだけのつもりだったのだが、刀は神の剣の先端を切り飛ばした。
「これは」
振ってみて気付くが、シオンの思っていた以上にこの刀は丈夫で軽い。そして、何よりも手に馴染む。木刀や竹刀でもここまでは馴染まないだろう。
この刀は干渉力により、作り出された代物だ。これを使えば特別な力を持たないシオンにも多少なりとも世界に干渉することが出来る。剣道していることを知ったユウが、この倉庫に来る前に渡してくれたのだ。
――これなら。いける。
判断するや否や、駆けた。
「ひぃ」
予想外の反撃に驚いたのか、荒井は後ずさる。
「逃すかよ」
一気に踏み込んで、シオンは刀を振り上げた。
すると、荒井の顔に笑みが浮かぶ。
「ばーか」
荒井の言葉と共に、シオンの後頭部に激しい鈍痛が響いた。まるでハンマーか何かに殴られたように。
前のめりに倒れそうになるシオンを、荒井は蹴り飛ばす。
「ははは。そんなもん手にした程度で、勝ったつもりになってんじゃねえよ」
自慢げに笑う荒井は、神の剣を高く掲げてみせる。神の剣はまるで触手でも生えたかのように先端が二つに分かれていた。
それを見て、やっと自分が何に殴られたかを悟った。
「これはなあ。俺の思ったとおりに形を変えることができんだよ。この通りにな」
荒井の言葉に従って、剣の先端が分かれていく。一本。二本。三本……。
「避けて見せろよな。天才なんだからよー」
剣をシオンに向ける。触手は一本一本、それぞれ意志を持っているかの如く上下左右に網のように拡がった。
「くそ――」
後ろに飛びながら、一本、二本と叩き斬るが、三本目と四本目の先端が合わさってアッパーカットのように腹部に打ち付けられた。まるで重量級のボクサー並の重さで、呼吸が止まる。
「げほ、げほ」
口元を押さえながら、着地する。手を見ると少しだけ赤くなっていた。
「ほらほら。どうしたよ。次行くぞ、次ー」
けたけたと笑う声が倉庫の中に響く。
――いつまでも、笑っていやがれ。
内心で毒づきつつ、後ろに飛ぶ。ばちんといた場所を黒い触手が打ち付けた。黒い液体が水滴のように散る。
しかし、左右からも同時に伸びる。シオンには見えないが、背後からも触手は伸びる。
頭をしたたかに打ち付けられた。
一瞬意識がロストする。それほどの衝撃だ。
「ははは。天才なんだろ。だったら、これくらい避けてみせてくださいよ」
尚も笑い声が響き渡る。
「うるさいんだよ」
三本の触手を斬り飛ばす。
けれども、触手は尚も増殖をやめない。
合計七本となった触手にむけて、がむしゃらに刀を振るった。刀の軌跡は空を切り、打ち付ける鈍い音が断続的に響き渡る。
口いっぱいに鉄の味が広がった。視界がちかちかとする。足下から力が抜けていくのを感じる。何度打たれたかも把握できない。刀を杖にして立っているのがやっとな状況だ。
「は……あ……ア……」
「何だよ。もうお終いか。天才のくせによ」
天才。天才。天才。何と耳につく言葉であろうか。
触手は生き物のように、シオンの体に絡みつき、空中へと持ち上げた。
荒井はへらへらと笑ったまま近づき、シオンを見上げる。
「てめえがいくら才能があったって、世の中こんなものなんだよ」
シオンには荒井の気持ちは分からないでもない。中学での最後の大会で、ぽっと出の一年生に敗れてしまったのだ。それは確かに悔しいことであろうし、やる気も失ってしまうかもしれない。
「いくら才能があるからって、調子に乗ってんじゃねえよ。少しは、俺の気持ちがわかったか」
「……わかんねーよ」
ぽつりと呟く。
「何だと」
「わかんねーって、言ったんだ。あんたみたいな三下のことなんてな」
本当に馬鹿にするような口調に荒井は顔を赤くする。
「うおおぉぉ!!」
右腕に昂進の力を込めて、触手を引きちぎる。そのまま自由になった右腕で、自分の身を捕らえる触手を全て断ち切った。
荒井の気持ちはよく分かる。だからこそ、認めるわけにはいかない。こんな考えを認めるわけにはいかない。
「天才、天才うるさいんだよ」
自由になったシオンは再び駆ける。
天才という言葉が嫌いだ。努力を全て無視する言葉だからである。
一年の時にすでに全国大会で優勝をしたのだ。そのような、陰口をたたく者などいくらでもいる。確かにシオンには才能があるのだろう。しかし、だからといって努力を欠かさなかったことなどはない。
もしも本当に努力をした者ならば、相手を呪うよりも先に、自分の無力をまず責める。そのことをシオンは一番よく分かっている。だから荒井のように、まず人のせいにする考えなど、何の努力もなしにいきなり力を手に入れた者のことなど、認めることなど出来るはずもない。
「ひ、ひぃ」
気迫に気圧されたのか、逃げるように荒井は後ずさった。
触手が荒井を守るように鞭打つ。その数は変わらず七本。
「邪魔だ!」
「な――」
荒井には一体何が起こったのか分からなかった。ただ、彼の目に見えたのは一太刀で触手が斬り飛ばされたということ。七本全てが。
「終わりだ。荒井直人――」
シオンから最後の一太刀が繰り出された。
しかし、神の剣が唐突に膨れあがり荒井を守る盾となる。シオンの刀は絡め取られ、その盾を断ち切ることは敵わなかった。
「ふ……。ふはは。調子に乗ってんじゃねえよ」
自分を守る壁を見た荒井は、少しだけ先ほどの調子を取り戻す。
「その割には焦っているな」
「抜かせ」
荒井は神の剣を横に振り抜く。再び伸びる触手を後ろに大きく飛んで避けた。息巻いて見るも、体のあちこち打たれすぎで、体の限界が近い。意識が油断するとそのまま落ちてしまいそうなほどに。
距離を取ったシオンは神の剣を睨み付ける。あれをどうにかしないと、どうしようもない。
そもそも神の剣の力の原理はどうなっているのだろうか。昼間ユウの話していた内容だと、この物質世界の理論をねじ曲げることは困難なはずである。それならば、一体あの触手はどこから生まれてくるのであろうか。無から生まれてくることは考えづらい。
目に入ってくる汗を拭う。泥に触れたような、べたべたした感触を感じた。
それは勘違いではなく、手の甲を見ると黒色の泥で汚れていた。触手に打ち付けられた時にこびり付いたものだろう。
――泥?
触手を斬ったときの感触を思い出す。どこか、ぶよぶよと粘土のような。
「土……なのか」
意識を集中して、神の剣を見た。
何故かは分からないが見える。その確信がある。絶対に見えるという確信。
――――見えた。
神の剣から伸びる一本の透明な線。その細い線が、大地へと伸びている。
体に残った力を振り絞って、跳躍する。一点のみをを目指して。
「てめえ、まだ!」
背中を打ち付ける衝撃。
シオンは止まらず、刀を水平に振り抜いた――――
†
男達を全て叩き伏せてきた、ユウは神の剣が砕ける様を見据えていた。そして、そのままシオンは気を失って倒れた。
「これは、まるで」
呟く、ユウの表情には陰りが見える。
神の剣が砕かれて、呆然としていた荒井が、やっと我に返った。
「ふ。ふへへ。ふはは。何だよ、こいつ。大きなこと言いやがってよ」
踏みつけようとする荒井とシオンとの間にユウは割ってはいる。
「あなたなんかが、これ以上彼に手を出すことは許しません!」
ユウはきっ、と荒井を睨み付ける。
「な、何だよ。てめえは――」
頭に血が上っている荒井は、ユウにも手を挙げようと拳を振り上げるが、ユウの掌底が鳩尾に叩き込められる。荒井は吹っ飛び、倉庫の壁をへこませて、そのままめり込んだ。
ユウは荒井からはすでに、悪魔の気配が感じられないことを確認し、シオンの体に肩を貸して立たせる。
「シオン。あなたは……」
ユウの呟きを聞く者は誰もいない。